20 不動尊 紫燈護摩

19 客殿

18 庫裏 雛飾り

17 本堂 天井画

16 左から武田信玄、新羅三郎義光、加賀美次朗遠光

15 不動明王

14 不動明王
(Copyright 海老原一己)

13 護摩祈願

12 本堂

大聖寺は長治2年(1105)に、甲斐源氏の祖といわれる新羅三郎義光が開基したと伝えられています。寺には「義光山大聖寺殿」の義光の位牌や木造がまつられ、また義光の廟所もこの寺であるとされています。
 大聖寺の本尊不動明王は、新羅三郎義光の曾孫にあたる加賀美次郎遠光が高倉天皇から拝領した仏像であると伝えられ、国の重要文化財となっています。

 大聖寺縁起によりますと、今から八百余年前の昔、承安元年(1171)に京都御所の屋根の上に毎夜車輪のような形をした怪しい光が現れ、時の高倉天皇はそのために病になられました。その時に大番として宮中守護にあたっていた遠光に悪魔退治の命が下りました。遠光は宮中清涼殿におまつりしてあった不動明王に祈念し、甲斐源氏に伝わる「鳴弦の術」をもってこの悪魔を退け天皇をお守りしたのです。その恩賞として清涼殿の不動明王をいただき、任が終わって甲斐の加賀美の荘(現:南アルプス市加賀美)へ帰る途中、曽祖父開基の大聖寺へ像をおさめたと伝えております。

物心ついた時から、当たり前のように建っていた大聖寺。酉年生まれの私の守り本尊でもあるお不動さん(不動明王)。まるで「まんが日本昔話」に出てくるような雰囲気が漂うお寺です。

近くには「日蓮宗総本山 身延山久遠寺」があり、又、富士川を挟んだ向こうにある丸畑(まるばたけ)という山村集落には「木喰上人」の生家があります。そんなメジャーな寺院とは対極にある山寺「大聖寺(だいしょうじ)」には、子供の頃から何とも言いがたい魅力を感じていました。

建築写真家という職業を生業としている私は「大聖寺」を自分の感じたままに撮影したいとずっと構想を練ってきました。それが実現したのは15年間勤めていた写真事務所を退職してからです。

05 魚氷に上る本堂

03 山粧

海老原一己

01 晩秋

戦国時代に至り、甲斐の雄武田信玄公も信奉の志厚く、ここを祈願寺の一つとして帰依され、当時の寺領印書、朱印状、制札など数多くの文化財が残っています。

また、江戸時代には三回にわたって不動明王の江戸「出開帳」が行われ、徳川家をはじめ大名小名の参詣があったことが記録に残っています。こうして富士川流域の峡南地方に900年近くの長い間、まさに孤高ともいえる姿で法燈をかかげ続けている事実は、無言のうちにこの不動明王の霊験を物語っていると言えます

 大聖寺は真言宗醍醐派(総本山醍醐寺 京都府伏見区)の末寺で真言密教の秘法を伝え、加持祈祷・ 護摩修法や毎年4月29日の不動尊祭典に修される「柴燈大護摩供」は、県下で最も古い歴史をもっています。春先から増える「甲斐百八霊場めぐり」の遍路も、一年中途切れること無くあり、人々の根強い不動信仰に支えられ、また訪う人々に強い感銘を与えています。

大聖寺に安置されている不動明王像は内刳のあるヒノキ材の寄木造、彫眼、布ばり、錆び下地彩色、等身大で座高84.4cm。また、木造の武田信玄像・加賀美遠光像・新羅義光像が並んで安置されていますが、この武田信玄像が甲府駅前にある信玄公像のモデルになったとされています。

11 寒夜

10 春暁の参道

07 桜咲く境内

06 初雪

02 黄落

真言宗醍醐派 三守皇山 大聖寺
山梨県南巨摩郡身延町

甲斐国は四方を三千メートル級の山で囲まれた「籠国」。

東には大菩薩峠、また金峰山を主峰山とする秩父連峰がつづき、北には八ヶ岳がどっしりと居座り、西には雄大な南アルプスがそびえ立ち、南は御坂峠の向こうに日本最高峰の富士山を拝む事が出来ます。それらの山塊をえぐるようにして、笛吹川と釜無川が流れ、鰍沢あたりで合流して、富士川となって南下し、富士市と静岡市清水区との境で駿河湾に注ぎます。

その富士川沿いを走る国道の西、山梨県南巨摩郡身延町(旧中富町)八日市場にそびえる「烏森山(からすもり)」の麓に「大聖寺」は建っています。標高645mの烏森山の頂上には、戦国時代に武田軍の狼煙(のろし)台のあった場所があるといわれています。

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甲 斐 の 山 寺

09 下落葉の階段

08 夏の露

04 春隣の焚火