今回の説明の中で訴えたかったのは「保存」はもちろんの事、今、目の前の危機(倒壊)をなんとかしたい思いではなかったかと思う。
普段の撮影では完成した真新しい建物でこれからの喜びと希望を感じます。
しかし、この窯を観た時「ものの哀れ」のも似た思いを感じたのは私だけではないと思います。
この窯の火を、再び燃やすためには資金だけでなく「知識」と「idea」が求められていると思う。周辺地域の「新たな文化」になることを心から願います。
Copyright Bouki Yamazaki
山崎望輝
それは今年の4月末、撮影が早く終った帰り道、横浜で「西洋館とフランス瓦」展を観ました。
それから協会10周年記念事業で「日本の文化」を紹介、発信する写真展に向けて自分の撮影を始めた時に思い浮かんだのが、通称「野木町煉瓦窯」旧下野煉瓦製造会社の日本で唯一の円形ホフマン式輪窯でした。
昭和54年(1890年建設)、重文指定になっています。旧下野煉瓦製造会社から栃木県野木町へ所有変更されています。
5月の年に一度の内部公開日に合わせて建築家の北村氏とロケハンに出かけました。当日現地で受付を済ませました。受付の隅に募金箱が置かれていました。
11時の見学説明に参加、所有・管理の栃木県野木町教育委員会の職員の方の説明を受けました。
外観は煉瓦が黒ずみ120年の風雨の歴史を感じます。囲いをくぐり中に入った時120年の「時の過酷さ」を目の当りにしました。基礎部分からつながる外周壁は崩れかかり窯入口のアーチは歪んでいました。それに伴い大屋根も大きく歪んでいました。
窯の内部は足場用パイプで補強され、見学時はヘルメット着用でないと見られませんでした。また、2階部分でも1枚の足場板が渡された上しか入る事が許されませんでした。3〜40分の見学・説明が終わりました。