クンストハウス・ウィーン
迷宮の街で
copyright Shigetoh Watanabe
今回訪ねた多くの場所で言えるのですが、引きのない環境の下、今回持ってきたデジカメではワイド側で不足を感じました。フルサイズと12mmを持ってくるべきだったかもしれません。
撮影可の美術館でも三脚は禁止だし、そのような場所ではISO1000から1600で、絞りも開放で撮影していました。やはり画質は落ちます。最近発表になった機種は全く問題なさそうですね。・・・誰に言ってんだろう。
渡辺重任フンデルトヴァッサー・ハウス
プラハ城と
カレル橋
国民劇場を背景に
美術史博物館 カフェ ゲルストナー
ホーフブルク
国立図書館
美術史博物館
これだけは押さえようと向かったのが、通称「踊るビル」ナショナル・ネーデンランデン・ビル 設計、フランク・ゲーリー 1996年。
昔、何かで見た記憶はあるのですが、この街とは思いませんでした。そしてもっと以前のことのように思っていました。夕暮れ近い時間でしたので夜景を狙うことにして、立ち位置を決めておきました。ベストなポジションは横断歩道の小さな島です。反対に見えるプラハ城の夜景も気になり、そわそわして行ったり来たりをしておりました。するとその時刻が迫るにつれ人だかりが。これではポジションを取られてしまうかなあ。世界から建築を学ぶ者を惹きつける様で、建築学科の学生と見受けられる一団でした。やわではあるが三脚があったので、この場は譲り最後にゆっくり撮影することにしました。
確かに古い街並みの流れでは異質な部分もあるでしょうが、別段調和を壊してはいないと思う。むしろバランスを取って、この建物と連結をしている部分では馴染んでいる感もあります。発想はダンスであろうが、思い切ってできたものだと感心してしまいました。
ウィーンでも、何かに的を絞らないと散々な結果になることが見えていました。
結果的には想像外に美術史博物館が気に入ったこと。予定外に訪ねたフンデルトヴァッサーの建物に不思議な魅力を感じてしまったことでしょうか。さほどない自由時間の中では、行きにくいフンデルトバッサー・ハウスは外していました。最終日、飛行機の時間が遅くなることで半日時間ができ、足を向けてみました。
まずザッハーのカフェであのタルトを平らげて市立公園を抜け、ガイドブックの地図の範囲からはみ出て、匂う方向へ歩いていきました。そして建物が目前に来た時、ああ来てよかった、と思わせる異常さがありました。思わず、こんな風になってるんだ〜、と声が出てしまいます。手前の道路から、すでに造形の妙を作り出しています。
1986年 市営住宅。現役の市営住宅で、観光客の多い中を住民が出入りをしています。外壁塗装は色あせて、日差しがなくては写真にしにくい環境でした。この建物も全景ポイントはただ一か所、角にある街灯の足元です。一瞬の晴れそうな兆しを見つけ、時折団体が攻めて来る中、今回だけはこの場所を死守し続けました。いつまでも動かない東洋人に、周囲にはどう見えたことでしょう。この写真を撮り終えると雨が降り出しラッキーの一言です。この近くにもう一軒、同設計のクンストハウス・ウィーンがあり、雨の中向かいました。
こちらは1991年、ショップやミュージアムが入って前出より穏やかな建物ですが、異彩さは同様です。雨が上がり撮影もできそうですが、壊れた看板や汚い自転車があったり、どかそうかどうか考えておりました。う〜ん、ここで仕事する?自問自答です。車も邪魔するように、そこらじゅう止まっているし。
運良く日常から逃れる機会を、昨年の今頃、得ることができました。
無性に仕事を離れた対象にカメラを向けたくなるのは、私だけではないでしょう。
お膳立ては何もなく、思ったようにシャッターを押せる時間が恋しくなってしまうのです。
選んだ街は、プラハとウィーン。お手頃な価格と行ったことがないこと。そしてその気にさせる街並みがすべてでした。そして期待を裏切らなかった街並み、建物。通り過ぎる旅人目線ではありますが、その一端を紹介いたします。
プラハでは一通りの観光の後、自由に使えた時間は半日。その晩には地下鉄とバスを乗り継ぎ、一人で宿へ戻らねばならない行程です。見知らぬ街でグループが解散した途端、頭の中では「そして僕は途方に暮れる」が繰り返し鳴っていました。何にカメラを向けても凄すぎて、思わず国力とか歴史とか、普段使わぬ言葉の印象で圧倒され、写す対象を見あぐねておりました。呆然と旧市街を見渡し、帰りのチケットを入手してやっと人心地がしてきました。市民会館の有名カフェで一休みしても、旧市街では観光としてはいいのですが、撮りたくなる様なものが視界に入ってきませんでした。