私が非常勤講師をしています多摩美術大学の環境デザイン学科の学生達と先日ウズベキスタンに行ってきました。

 昨年のグルジアに続き今回はシルクロードの隊商都市を訪ねる旅です。昨年のグルジアは5千メートル級の山々が連なるコーカサス地方に点在する塔状住居を実測し、その村にも民泊し1週間とはいえ風呂やトイレも無い現代社会との隔離生活も体験しました。今年の夏に勃発したオセチア紛争でグルジアには現在入国できませんが、この地方の事を思うと胸が痛みます。
 さて今回の旅のハイライトは、約500キロの距離を隊商都市として有名なブハラからヒヴァへの砂漠を横断するマイクロバスによる移動です。日中の温度は45度にも上がり幾度となく流砂による通行止めを乗り越えヒヴァのミナレットを遠望できた時には一斉に歓声が上がりました。

 ウズベキスタンと言えば首都のタシケント、世界遺産の街サマルカンドが有名ですが、ブハラ、ヒヴァといった小さな町もそれぞれが個性的な珠玉の街です。以前に訪れたイランのイスファーンでは完成されたイスラム様式の建築が堪能できますが、こちらの建築はもう少し土俗的で、様式にとらわれない手作り感が漂う建築です。とは言えやはり時の権力者が宗教的充実に多くの冨をつぎ込み、モスク、メドレセ(神学校)に代表される宗教建築を作り上げました。ただこの国自体が厳格なイスラム社会では無いので、サウジアラビアで体験した禁酒や、その他の国で体験したモスクへの入場禁止等は無く、イスラムの世界にいることさえ忘れさせてくれます。

 特に印象深い町は砂漠を横断してたどり着いたヒヴァで、この町は四方を砂漠に囲まれ、イチャン・カラとよばれる旧市街は外敵の侵入を防ぐため二重の城壁に守られています。今でも町に入るのは四つある城門からしか入れません。町自体は半日もあれば一周出来ほどの規模ですが、その中は素晴らしい建築美に凝縮されています。簡単に歴史を振り返れば5000年前には人間が住み始め、8世紀にはこの町が文献に登場しています。しかし当時はシルクロードの脇道の小さな町でしかなかったようですが、近くを流れるアムダリヤ川の水系が変わり首都がこの地に移され、政治、経済、宗教の中心地になり、17世紀以後に繁栄のピークを迎えイスラムの聖都になっていきます。この国の主だった他の都市はそれ以前に繁栄していたため、蒙古軍の襲来を受けことごとく破壊の憂き目に遭っていますが、ヒヴァは繁栄が遅れたために破壊から免れています。

 イスラム建築といえばミナレットも重要な役割を担っていますが、この町の二本のそれはそれぞれが階段で登ることができ、学生たちに背中を押され登ってきましたが、この町の形態がよくわかり、他のイスラム諸国では目にすることの出来ない、モスクを上から見る恩恵にも恵まれました。
 この町ではキャラバンサライ(隊商宿)と呼ばれている宿泊施設にも滞在し、シルクロードを行き来したいにしえ人に思いをはせたりもしました。この宿自体は150年程前の建築ですがキャラバンサライ自体は1500年程の歴史があるそうです。通りに面した入口から中に入ると大きな中庭があり、それに面して外廊下を持った2階建て建物が取り巻いていてその建物の中に客室があり、中庭には食事をしたり午睡ができる大きめなベットが用意されています。別棟はセンターハウス的な機能を持ち、夜には宿泊者達が集まりお酒を飲んだりもしています。機会があれば是非滞在されるといい思い出になりそうです。

 ヒヴァの町の印象が強くてこの町に多くの時間を割いてきましたが、「青の都」「イスラム世界の宝石」との異名を持つサマルカンド、イスラム世界の文化的中心地ブラハ等多くの素晴らしい個性的な町が点在するウズベキスタンを一度訪れてみては如何ですか。

 余談ですが帰国後すぐにシカゴに行き、ライトとミースという対局の建築家の作品を見てきたのですが、私にはブハラやヒヴァで見てきた古建築のほうが圧倒的に力強く感じられました。 

堀内 広治

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タシャ・ハウリ宮殿  ヒヴァ

ブラハウズ・モスク  ブラハ

宿泊したキャラバンサライ

ヒヴァ 夕景

ヒヴァ 全景

ミル・アラブ・メドレセ ブラハ

レギスタン広場 サマルカンド

グリ・アミール廟 サマルカンド

シャーヒズィンダ廟群 サマルカンド

カルタ・ミナル  ヒヴァ

イスラーム・ホジャ ミナレット  ヒヴァ

シャーヒズィンダ廟群  サマルカンド

ウズベキスタンの旅