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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

Spin-off大阪写新世界 ⑤「通天閣への五十余年来の夢実現」 

はじめて私が「通天閣」の名を耳にしたのは、1960(昭和35)年春の頃です。日本大学写真学科の修学旅行は、東海道本線東京駅発時間指定の自由席夜行列車で出かける京都4泊5日の旅です。その中に恒例の「桂離宮」の見学・撮影が組み込まれていました。当時「桂」は個人では見学することの出来ない場所。それも写真撮影など自由に出来ない所でしたが、写真学校の学生の勉強ということで、特別許可により撮影は、外観は通路からのみ、屋内は不可という厳しい条件の中での撮影です。

京都での条件付撮影旅行を済ませて、許可を貰って帰路義兄のいる大阪へ寄り道。一夜義兄一家と御堂筋で夕食。御馳走になっている最中に、大阪の繁華街見学ということになり、梅田・道頓堀もうひと足延ばして一番行ってみたかった通天閣へと目論んでいたが、残念な事に、道頓堀でタイムアウト。此処から、義兄の家へ帰還という事となり、心大阪に残し、翌日帰京。

その後社会人となり、何十回か大阪撮影の機会はありましたが、昼は撮影、夜は梅田か道頓堀へということで、通天閣へは今度出版の『大阪写新世界』の撮影まで一度も行かずじまい、振り返って見ると「通天閣への道」は、およそ50年余の歳月を費やした事になりました。長く遠い新天地への道でした。「桂離宮」へは今でも渡辺義雄、石本泰博など先輩諸兄の写真集をひも解くと、いつかは私もと思いますが、残念ながら、これはばかりは「夢のまた夢」ということになるでしょう。

Spin-off大阪写新世界

さて「空に灯がつく・・・」と唄われた通天閣は、大阪市天王寺動物園の南側に隣接した地域にあります。そのランドマークとなるのが通天閣で、地上103mの展望塔で、91mのところの展望台からは大阪市街はもちろん、奈良県の信貴山や生駒山の山並みも一望でき、近年まで、大阪一の高さを誇り、長く浪速のシンボルとなっていました。

歴史をひも解くと初代通天閣は明治45(1912)年、あたりを睥睨(へいげい)するように高さ64mの鉄塔が建てられました。その後第二次世界戦争の激しくなった昭和18(1943)年隣接する映画館から火が出て通天閣も類焼し、搭は解体されました。時節がら直ぐに再建という訳にもいかず、第二代目は、昭和31(1956)年に新たな搭が誕生したのが現在の通天閣です。平成23(2011)年には建立100周年を記念して、ネオンがLEDにリニューアルされ、大阪の夜に、今日も美しくエレガントな姿を見せてくれています。

(posted on 2016/9/20)

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