NO PHOTO NO LIFE ㊽ 「日本建建築写真家協会 写真展」始まりました。せめて祈りを写真にのせて

日本建築写真家協会 写真展 「光と空間 建築の美」part16が今年の6月より7月の後半にかけて東京、大阪、名古屋といずれも富士フィルムフォトサロン様に行われております。
このコラムが掲載される時には東京展は終了し、6月27日より始まる大阪展を待機している状態です。
写真は出展における自身の最終選考まで残ったうちの1枚。
今回の出展用の作品は長崎県の東彼杵郡川棚町にある片島魚雷発射実験場跡にて撮りました。
3月の上旬に撮影して、写真展が始まる6月までにはロシアとウクライナが終結している事を祈りながら撮ったけれどダメだった。むしろパレスチナの問題など紛争は増えている。
僕の母方の祖父は尉官を務めた所謂職業軍人であった人で、僕が生れる前には他界していた。
勿論、僕は戦争そのものを経験した世代ではないけれど、敗戦国となり生きて引き上げてきた者への周囲からの冷ややかな目と陰口の辛さは、幼少の頃に祖母から懇々と聞かされた。
僕は生まれつき耳鼻が弱い子供だったのだけれど、終戦後30年近く経っていても「父親が戦地で酷い事をしてきたから祟られて首から上の病気が多い」と聞こえる陰口を言われて僕を生んで間もない若き日の母は泣いたと聞かされた。
だから僕には戦時中に闘ったとされる他国でなく、母を泣かせた今となっては誰だか分からない自国の意地が悪い近隣住民に対する憎しみとして「戦争」という言葉は同世代よりもおそらく強く身に染みていた。
けれど選択の余地なく招集により命を失った側の人達の立場になれば当然、別の憎しみが存在する。
後世に生きる自分たちが戦争悲劇から学ぶべきものは何なのか?
様々な人が生きている中で、「争いの無い社会」の実現など信じていない。
切磋琢磨して競争社会の中で生きていく事は闘いの姿そのものだと思うからだ。
だがしかし、「選択の余地なく命を捧げなければならない事や、運命を絶たれる」という誰かの大義による戦いは社会の努力で止められるはずだ。
今から80年前、それぞれの戦地で散った英霊たちは今の世界をどう憂いているのだろうか。
そんな想いを込めて戦争遺構の場所を選び、そして撮影した作品です。
全ての人々の人生は、全ての人々それぞれのものだと思う。
届かない声を祈りに替え、写真にのせて。
残り大阪展、名古屋展と在籍する建築写真家の作品が展示されております。
お時間許しましたら、皆さま是非お立ち寄り下さいませ。
日本建築写真家協会 写真展 「光と空間 建築の美」part16
大阪展 2025年6月27日~7月3日
富士フィルムフォトサロン大阪 公式
https://www.fujifilm.co.jp/photosalon/osaka/25062701.html
名古屋展 2025年7月18日~7月24日
富士フィルムフォトサロン名古屋 公式
https://www.fujifilm.co.jp/photosalon/nagoya/
(posted on 2025/6/20)
Writer: 西田慎太郎