NO PHOTO NO LIFE ㊼ 収音や整音や、、、
諸事情により4カ月ほど休載していたこの月刊コラムも今月からなんとか連載を再開できる事となり原稿の準備に取り掛かったところで、電話が鳴った。
内容は次回の案件に関するクライアントからの一本で、「写真ではなく動画にしたい!」という内容変更の依頼だった。
インターネットが普及していなかった僕の少年時代は情報媒体といえば専らが雑誌や書籍で、おそらく写真は情報の視覚伝達を行う上で最も重宝されたものだったに違いない。
インターネットが普及し始めた当初もISDNなど通信速度は遅く、当時僕が持っていたような安価な家庭用パソコンでは動画再生はままならなかった。
しかし現在は、スマホであっても動画がサクサク見られる時代になっていて、視覚と聴覚で情報伝達が行える動画を敢えて使わない理由を探す方が難しくなっている。
画質の飛躍的な向上と共に音質に対する感覚も肥えている世間のニーズに対応するには、撮影におけるカメラ機器だけではなく、収音と整音に関する設備投資とノウハウの習得も避けて通れない道となってきている。
たまたま自分には約4年の短い期間だが、音響に関する仕事をしていたせいもあり、それがもの凄く役に立つ経験となっているが、音響も奥が深いため依頼のレベルにもよるだろうが、普通のカメラマンは外注に出さざるを得ないだろうと思う。
ミュージシャンの音を録る、環境音を録る、スポーツカーのマフラー音を録る、会話を録る、収音においても「どんなマイクでどの向きで?どんな方法で、どんな整音で、」
結果 音質は大きく変わる。
だけど、めっちゃ良い音とめっちゃ良い画がマッチした時は、苦労が帳消しになるほど最高だよね!
原稿を書きながら、頭の片隅で収音のプランを練っている。
(posted on 2025/5/20)
Writer: 西田慎太郎