MENU

日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

NO PHOTO NO LIFE ㊹ 対談企画
ゲスト クリスタルキング ムッシュ吉﨑様
~宣材写真撮影を終えて~

前書き
「あーあー、果てしないー」という歌い出しで始まる名曲「大都会」や「YouはShock!」というシャウトで始まるアニメ/北斗の拳の主題歌「愛をとりもどせ!!」など昭和の時代を僅かでも経験した世代であれば恐らく知らない人はいないであろう国民的バンドとして活躍したクリスタルキングのムッシュ吉﨑さんが今回のゲストです。
今から約10年くらい前にご縁を頂いて、僕がプロ・カメラマンとして人生の再出発を行う直前の頃に「その被写体の心が表れるような写真が撮れるカメラマンになりなさいよ!」と僕の写真にそう助言を下さった方がムッシュさんだった。
ミーハーと思われるかもしれないが、幼少期・少年期とテレビが今の時代と違って憧れとしてもっともっと生活の高い位置にあった時代にブラウン管の中で見ていたスターから頂いた言葉は僕にとって、とても大切な言葉となってその後ずっと胸に残る言葉になった。
それから、アーティストを含めた沢山の方々を撮影していく事になるのだが、どんな撮影でも必ず1回は其々の撮影現場でその言葉を思い出した。
そして、僕は決めていた。
「いつか必ずこの方の宣材写真を仕事として撮れるようになろう!」

そんな想いが実ったのはそれから丸7年が経過した今年2024年の4月だった。
撮影から約1か月経って、改めてムッシュさんに写真にまつわるお話を伺ってみました。
今回はそんなムッシュ吉﨑さんをゲストにお迎えしての対談企画コラムとなります。

 

 

西田
宣材写真撮影の節は色々とお世話になりました。
本日は何卒よろしくお願い致します。

ムッシュ吉﨑氏
本日は、こういった機会をどうもありがとう。

 

アーティストにとって「宣材写真」とは

西田
早速ですが、「日本建築写真家協会公式サイト」にて連載中のコラムという事でして、「写真」をキーワードに対談企画を進めさせていただければと思います。
写真と一言でいっても世の中には多種多様な写真がありますが、その中でも「アーティストにおける宣材写真の持つ意味とは!?」というテーマを切り口に昭和の時代から芸能界、歌謡界、ミュージシャン・アーティストの世界と時代の第一線を経験されてきたムッシュさんのご感想を本日、最初にお話し頂ければと思います。

ムッシュ吉﨑氏
僕は、写真嫌いな方なので該当するかわかりませんが、一般的なアーティストにとっては一番大事な部分というか、例えばミュージシャンなら楽曲等の作詞/作曲などそういった才能は勿論ですが、その存在を伝える上でもそのアーティストにとって非常に大事なものだと思っています。
僕の話をすると、申し上げたように写真に被写体として苦手意識があったものだから、なかなか自分が思う良い写真に出逢えない。でも言ったように宣材写真が非常に大事だと思うからこそ、そこで更に撮影に臆病になったりね(笑)
だから、僕の場合は数は非常に少ないんですよね。所謂アー写ってやつの。

 

大切なのはカメラマンに対する信頼感

西田
そうですかね!?
ご年齢の事を申し上げると失礼かもしれませんが、こんなカッコいい75歳ってやっぱりアーティストや芸能人でしか見たことがない!というのがファインダーからムッシュさんを見た僕の率直な感想です。
よりご自身をシビアに見られているという事かと思いますけどね。

ムッシュ吉﨑氏
たしかにカメラマンの見る目と自分が見る目というのは違うのかもしれないけれどね(笑)
だから、西田さんから熱いハートを頂いて、本当に久しぶりに撮ってもらった宣材写真なんですよね。

西田
先日お撮りさせて頂いたムッシュさんのモノクロのお写真もSNS等で評判がいいんですよね。ムッシュさんの事を「モノクロのお写真がとても似合う方ですね!」とか、そういったお言葉も頂いたりしてますよ。

 

 

ムッシュ吉﨑氏
あ、それ覗かせてもらいました(笑)
やっぱり、(カメラマンに対する)信頼感だと思うんだよね!
あなたの場合は、カメラマンとしていきなりじゃなく、プロ転向する前のイベントの仕事の関係で何度が一緒になって、そこで地元のアマチュア・ミュージシャンと繋いでもらってセッションが実現したり、とにかく凄いパワー溢れる方で、あなたはね。
それもあって、今回の撮影の案件をお引き受けしたんですよね。
撮ってもらった写真も評判がよくてね。本当にありがとう。
横浜長者町のライブハウスFRIDAYで撮ってもらった写真も凄く評判がよくてね。

西田
宣材写真撮影の本番日の前日に行われたムッシュさんのワンマンライブにお伺いさせて頂いた時にお撮りさせて頂いた写真ですね。
自然なムッシュさんがお撮りできたな!って自分でも感じてました。

 

 

ムッシュ吉﨑氏
永年お世話になっているところだし、全てが心許せるところで写ったっていうかね。
でも僕の場合はサングラスを掛けていて、目が隠れている分、表情がわかりずらいってのがあるかと思うけれど。
あと過去のステージ写真なんかも、世の中に出ているのは「大都会」のときのモノが圧倒的に多くて、、みんな同じ表情しているの(笑)
だから今回違った視点で写してもらえてありがたかったなって思います。

 

サングラスを外して撮影した唯一の
アルバムジャケット「1968・夏・東京」
そして青春秘話

西田
本当に使って頂けて嬉しかったですよ。

ムッシュ吉﨑氏
僕は、さっきも言ったけれど「信頼感」だと思うんですよね。これまで沢山のカメラマンさんに撮ってもらったけれど、その中でYAMAHAから独立した1986年頃に「もう、そろそろサングラス外してもいいんじゃない!」って言われて「1968・夏・東京」っていう1987年にリリースしたアルバムではサングラスを外してジャケ写を撮ったんですよね。唯一それぐらい。
サングラスなしのオフィシャルの宣材って。でも、そこからまたサングラスかけるんだけどね(笑)

西田
え~!凄い貴重な宣材写真なんですね。

ムッシュ吉﨑氏
とても思入れのある作品で、今でもライブではそのアルバムからも演ってるんですよね。

西田
ムッシュさんの音楽人生の中でメインの曲が詰まったアルバムなんですね!?

ムッシュ吉﨑氏
そうですね。山口県の下関を離れる時のイメージを歌った曲だったり。
それがアルバムのタイトル曲の「1968・夏・東京」という曲でね。
僕は1968年に下関を離れてるのでね!

西田
若かりしムッシュさんが故郷を離れる時をイメージした曲なんですね。

 

 

ムッシュ吉﨑氏
母親に黙ってね、、、完全に家出ですよ(笑)

西田
その時、ムッシュさんお幾つだったんですか!?

ムッシュ吉﨑氏
二十歳(笑)

西田
え~!!
でも、そう考えたら凄いですよね。
その二十歳の時の「明日なき暴走」みたいな決断は間違っていなかった!!っていうか。
そこから、あの「大都会」での国民的スターになっていくわけですから、まさにドラマですよね。

ムッシュ吉﨑氏
僕は親一人、子一人で育ってたので、母親を安心させようって事で一度は(山口県地元企業に)親戚の紹介で勤めてね(笑)
当時、山の田(下関市)に住んでいて、安岡(下関市)まで通勤してね。
夜勤をやって少しだけ仮眠を取ってそこから出向して、、、みたいな仕事を二十歳前までやってたのかな。
確か当時の一般的な高卒の初任給が1万5千円か6千円くらいの時に、僕のその仕事は2万7千円くらい貰ってた。

西田
倍近い、高給取りですね!

ムッシュ吉﨑氏
やる人がいないじゃない、キツイし(笑)
たしか、年配の人に交じって6人編成ぐらいのチームで仕事してたんだけど、でも、「これって俺の人生じゃないな!」って思って。
あとやっぱり悔いの無いようにしたいな!っていう想いが強くて、それで家を出たんですね。

西田
いま、一度は就職をして二十歳で故郷を離れる決心をされたという事は分かったのですが、一方で十代のムッシュさんの音楽人としての人生はスタートしていたのですか!?

ムッシュ吉﨑氏
アマチュアバンドって当時流行ってて、第一次エレキブームでグループサウンズなんかもあって。

西田
GSってムッシュさんの先輩の世代なんですか!?

ムッシュ吉﨑氏
いや、世代!一緒の世代よ。ジュリーが(沢田研二さん)が同じ歳です。
だから1967年とかってGSの大ブームですよ。

西田
そのGSが大ブームになる日本の当時の背景には所謂ビートルズの来日などが理由としてあったんでしょうか?

ムッシュ吉﨑氏
そうですね、あとその前にベンチャーズが初来日していて、とにかく日本のバンドブームといえばベンチャーズが凄かったかな。それで当時は今みたいに情報が誰でもネットから取れるような時代とは違うから、どうしても山口県の下関とかになると俗に言うサブ・カルチャーが遅れてるわけ。それで故郷を離れよう!ってなっていくんだよね。

西田
そんな時代背景のなか、当時のムッシュ青年はバンドをやっていたんですね!!

ムッシュ吉﨑氏
うん!アマチュアで大学生と一緒にやってたり!僕は高卒だったけど同じ同級生の大学生なんかと一緒にね。
お金ないもんだからラジオ聴いてね(耳コピ)

西田
いや~、でも1970年代に入る前に既にエレキのバンドやってた方々って、選ばれた人たちだったんじゃないか!?って感じがするんですよね!

ムッシュ吉﨑氏
やっぱり、僕がいま思うにはね、お坊ちゃまがやってるんですよ(笑)エレキ・ギターって凄い高いんですよ。当時。

西田
ですよね!僕らが学生の時にエレキギターを手に出来た環境と明らかに時代が違いますもんね!当時は相当高価なものだったんだろうなぁって。だから「選ばれた人たちしかできなかったんじゃないか!?」って思ったわけです。

ムッシュ吉﨑氏
そうそう、大変ですよ(笑)
だからお金持ちのお坊ちゃま達が主にやっていたと思う。その一番の先駆けが加山雄三さんとかね!あと荒木一郎さんとか、そういう方々が日本のエレキブームの先駆者っていうかね。そんな感じがしますよね。

西田
第一次エレキブームって事は、時代の最先端のムーブメントだったって事ですもんね。
で、ムッシュさんもお坊ちゃまだったんですか!?(笑)

ムッシュ吉﨑氏
僕はお金がなかったから(笑)
だから、今でも下関に水産大学ってあるでしょ!当時そこに通っている大学生の方に「吉﨑!ハワイアン・バンドだけどドラム買ってやるからバンドに入らないか!?」みたいな事もありましたよ(笑)

西田
え~!! それもまた貴重なお話ですね(笑)

ムッシュ吉﨑氏
だから水産大学の講堂で練習したりね!
あとは、話がちょっとそれちゃうけれど、更にその前の高校生の頃の話なんだけれど、ホルモン屋さんでよくツケで食べてたんですよ(笑)高校生でしょ!よく食べるもんだからあっという間に何万円って借りができちゃって(笑)それで「どうしようか、、、?」ってなって
「じゃあ、パーティー券売って払おうよ!!」ってなってね。
それで先生に見つかって(笑)呼び出しですよ。「吉﨑!こりゃなんだ!!」って言われてね(笑)

西田
いや~、とんでもない行動力ですね!そもそも高校生なのにホルモン屋さんでツケで何万円も食べてる高校生に人生で出逢った事がないです(爆笑)今から約半世紀ぐらい前の高校生ですよ(笑)高卒の初任給が1万5000円くらいの時代に数万円までツケが許される高校生って(爆笑)やっぱり大物になる人だったんですね(笑)

ムッシュ吉﨑氏
それでも、なんとか退学にはならずに済みました(笑)バレて説教されてね、
でも結局やったんですよ。コンサートはね!先生も黙認してくれてね。まぁ、そういう時代でしたよ。

西田
これは、ムッシュさんの口からじゃなければ聞けない貴重なお話ですよね(笑)

ムッシュ吉﨑氏
そうそう(笑) あ、写真の話だよね!
それで、ずーっとこれまでの写真を見てみると、たとえ素人の方でも僕を応援してくれてるファンの方だったり、僕に好感を持ってくれてる人たちの方がいい写真を撮ってくれてるよなぁって。それで西田さんには撮ってもらう上で「ハートが通じるような写真がいいよね!」と。
「目は口ほどにものを言う」ってのもあるから、僕の場合はサングラスで目が隠れているもんだからハンデキャップはあると思うけどね(笑)
そうそう、サングラスで思い出したけど、「夜のヒットスタジオ」っていう番組に「大都会」で出演しているときに、ある方から楽屋に電話があって、今思うと何故楽屋に電話を通したのかも謎なんだけれど、その当時の何処かのお偉方さんだと思うんだけれど、電話に出てみると「君は目が悪いのか!?」「何故、サングラスかけて歌うんだ!?」って言われて(笑)
「いやぁ~これ、ファッションなんです、申し訳ございません」なんてやり取りがあったりしてね(笑)
当時はね、控えは大部屋でね。外タレや司会の井上順さんや吉村真理さんは別でね。あとはみんな一緒。その楽屋に何故だか電話がかかってきてそんなやり取りがあったのを覚えています(笑)

西田
昭和を代表する伝説的な歌番組でしたよね!番組の冒頭でその日の出演者の皆さんが、それぞれ次に紹介する方の曲を歌いながらメドレーで繋ぐんですよね!幼少の頃見てました!

ムッシュ吉﨑氏
これ、まとめるの大変だね(笑)
何だったっけ(笑) そう、だから宣材写真は凄く大事!
大事だから僕の場合数が少ないから出せない!ってのがありますよね。

 

斜に構えるのが一番ムッシュさんらしい!
そう思えてから撮影のプレッシャーから解放

西田
そんなムッシュさんがカメラマンに求めたい事とは?という質問を2つ目に用意していたのですが、既に大切な答えが出ていますよね、信頼感という。

ムッシュ吉﨑氏
そう、それが一番重要だと思う。なにせ被写体として苦手という先入観があるから撮れないんだよね。むしろ何時撮られたか分からないような写真の方が良かったりしてね。

 

 

西田
今回の撮影の件で最初にお電話で打合せさせて頂いた時に、ムッシュさんが「俺さ、ホント苦手だから、斜に構えちゃってダメなんだよ!」ってお言葉があって、、、
僕は僕でムッシュさんのような業界の一線で活躍してきたキャリアのある方をお撮りさせて頂く上で、限られた時間の中で最高のパフォーマンスを発揮しないといけない!という大きなプレッシャーがあって、そんなムッシュさんにリラックスしてもらって撮影する方法をずっと考えていました。
でも、ある日「おや!?」と感じて、僕が知っているムッシュさんは大半がメディアの中に登場するムッシュさんで、だとしたら「斜に構えてくれるのが逆に一番ムッシュさんらしんじゃないか!?」って思ったんです。ちょとコワモテで斜に構えたムッシュさんって、それはそれでムッシュさんの大きな魅力の一つかな!って。そう感じてから一気にプレッシャーから解放されたんですよね!自分が大先輩をリラックスさせようなんて生意気を思わずに、斜に構えたムッシュさんの気持ちに寄り添って撮ればいいんだ!って。
撮影日の当日、アシスタントでカメラ・リハを行って、いよいよムッシュさんがカメラの前に立つ時にサングラスをかけた!!
その瞬間に、僕らがブラウン管で見ていたクリスタルキングのムッシュさんが目の前にいるんですよ!!
ちょっと前まで談笑していたムッシュさんから、「あのクリスタルキングのムッシュさん!」になる。憧れの眼差しで見ていたスターが目の前にいる訳ですから、どんなカットを切ってもカッコよく撮れる自信がありました(笑)
それは、僕のテクニックじゃなくて時代に選ばれたスターが放つオーラに助けられている部分が大きいんだと思いますけど(笑)
これまで、写真家の世界では巨匠と呼ばれるような方々に撮られてきたかと思いますが、そんな巨匠カメラマンさんとのエピソードって覚えてらっしゃいますか?

 

巨匠カメラマンとの撮影の思い出

ムッシュ吉﨑氏
色んな素晴らしいカメラマンの方に撮って頂いたけれど、YAMAHA在籍時代の例えばクリスタルキングの2枚目「蜃気楼」以降タムジンさんでお馴染みの田村仁さんだったり。
この方は中島みゆきさんや、岡村孝子さん、だったり撮られてて。(その他、浅川マキさん、吉田拓郎さんやCharさん、など一流アーティストのアルバムジャケット等を数多く手掛けている巨匠カメラマン)

西田
錚々たる顔ぶれですね。

ムッシュ吉﨑氏
そうそう。
タムジンさんは勿論何人か助手がいるんだけど、一歩離れて撮る!っていう感じ。もの凄く静かな方で、あんまりお喋りもしたことないんだけど、少し離れたところから撮る感じだったかな。
それと篠山紀信さんね。

西田
僕もそのお写真は存じ上げてます。

ムッシュ吉﨑氏
一度だけね、何故か東京都内のお寺で撮っていただいた事があるんですよね。
その篠山紀信さんは、取材をするんですよ。ノートじゃなく雑記帳に走り書きみたいな感じで、色々と幼年時代の事などをざっとね。まぁクリスタルキングは7人もいましたから僕を中心に取材をして頂いてね。
僕らって博多の時代から佐世保の時代から、とにかく専属バンドとして休みなくステージに立っているような生活でしたから、「そういえば冠婚葬祭なんて出た事なんてないよね!」って話になって、それじゃお寺で取材にしようか、、、って決まったみたいなんだよね(笑)
それで、お寺でみんなで黒の喪服を着てね。

西田
その写真、ネットで出てきますよね!
篠山紀信さんが撮られたクリスタルキングの写真として出てきます。
畳のお部屋で、みんなで胡坐をかいて座っているショットとかですよね!!

ムッシュ吉﨑氏
そうそう(笑)
で、紀信さんが取材してくれるわけですよ!「ムッシュは親一人、子一人で育ってて、、」みたいな具合に。
そのとき、初めてだったんだよね、カメラマンさんで取材をする人に出逢ったの。
「だからなんだ! みんなこの人にこころ許しちゃうの!」って。で色々会話したりしてね。

西田
ただ、撮るのと距離感が変わってくるんでしょうね!

ムッシュ吉﨑氏
うん。
それが、もの凄い印象に残ってるよね。
しかも普通の雑誌じゃなくて、「月刊明星」だったと思うんだよね。

*月刊明星 1952創刊~現在に至るまで続く老舗芸能雑誌
その明星で連載されていた企画
「新 紀信話しながら撮ろう 第二十一回」1980年10月号掲載と思われる

西田
凄いなぁ!昭和を代表する芸能誌の代名詞的な雑誌でしたよね!

ムッシュ吉﨑氏
そうそう(笑)
それで、篠山紀信さんとの撮影は強烈に覚えているよね。やっぱり凄いなぁって。
ああやって偉大な写真家になられたのは納得できる思い出だよね。その後も精力的に活動されていらっしゃってたのに、今年1月に亡くなられてね。とても残念。
僕にとって思い出だけでも本当に財産ですよね。

西田
僕は、そういったお話を聞けるだけで財産です!

ムッシュ吉﨑氏
だから、篠山さんのお話ね「こういう事があったんだよ」って西田さんに是非とも聞いて欲しかったんですね。
こうして、被写体の心が表れるようなお写真をこれからも撮っていただきたいなと。

西田
そっかぁ!! いま全てが繋がりました!
7年前、「人の心が表れるよな写真が撮れるようになりなさいよ!」ってムッシュさんが言って下さった言葉の全てが!(あとがきにて後述)

いつまでもお話を伺っていたいのですが、最後に今のムッシュさんからファンの皆さんにメッセージを一言頂けたらと思います。

ムッシュ吉﨑氏
昔のメンバー含めて北斗の拳プロジェクトの皆さんとか本当に沢山の皆さんとのご縁の中で今日までこうしてやって来れて、そしてこの先あと何年歌えるか分からないけれども、可能な限り歌い続けられるように頑張りたいなと。もうただそれだけですね。

西田
今日は本当に沢山の貴重なお話をありがとうございました。

あとがき
今から7年前にムッシュさんがくれた言葉
「被写体の心が表れるような写真が撮れるカメラマンになりなさいよ」その言葉を頼りに写真を撮ってきたといっても過言ではない。
そして今回の対談で、その助言の言葉には、若かりし頃のムッシュさんが篠山紀信さんという偉大な写真家との撮影にのぞんだ時に強く感じた写真家としてのプロ意識の流儀に「あなたも見習って素晴らしい写真が撮れるようになりなさい」そんな隠れたエピソードがあった事を知った。僕にとって篠山紀信さんなどは爪の垢でさへ恐れ多い雲の上の方だけれども、そんな貴重な経験をもとに助言をくれたムッシュさんに心から改めて感謝をした瞬間だった。
僕は、ムッシュさんが自身の作品で最も好きなアルバムとして挙げられた「1968・夏・東京」をすぐに探して購入した。
1987年にリリースされたクリスタルキング6枚目のアルバム。
サングラスをかけていないムッシュさんがアルバムジェケットの中で佇んでいる。
いま丁度、10曲目。アルバム最後に収録されているタイトル曲「1968・夏・東京」がスタジオで流れている。すぐそばに1987年当時のムッシュさんがいるようで、もしもタイムマシーンがあるなら僕はそのムッシュさんに伝えたい。「僕!約37年後のあなたの宣材写真を撮るカメラマンなんです!!」って。
とても、とても、誇らしげな想いで伝えたい。

改めて同郷のレジェンドである大先輩に心からの敬意と感謝をお伝えしたい。
そして、これからも「被写体の心が表れるような、そんな写真が撮れるカメラマン」に近づけるよう、その言葉を胸にシャッターを切る

 

 

Information
クリスタルキング公式HP
CRYSTALKING(クリスタルキング) OFFICIAL WEBSITE (navida.ne.jp)

ライブ/イベント情報
2024年6月22日㈯
会場:横浜 長者町 ライブハウスFRIDAY
19:30開演(18:00開場)

2024年8月30日㈮
コッキーポップコンサート2024
会場:こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ (東京都)
18:15 開演 ( 17:30 開場 )
[司会]大石吾朗
[出演]すずき一平 / 伊藤敏博 / 三浦和人 / ムッシュよしざき / 因幡晃 / 高木麻早 / 佐々木幸男
チケットぴあ
交感ひろば@SPACE ZERO Part28 コッキーポップコンサート2024(コウカンヒロバアットスペースゼロコッキーポップコンサート) | チケットぴあ[音楽 J-POP・ROCKのチケット購入・予約] (pia.jp)

(posted on 2024/6/20)

Writer:

戻る

PageTop