町並み探訪vol.45 (岐阜県各務原市・その10)
今回は、前渡不動山(まえどふどうさん)(矢熊山)です。
この山の南には、美濃・尾張国境となってきた木曽川が流れています。このような位置関係にある前渡地域は、戦略的に重要な地点と考えられ、それを裏付けるように、様々な歴史的な出来事がありました。
承久3年(1221)、承久の乱において、鎌倉幕府と後鳥羽上皇の軍勢がこの前渡の地で合戦を繰り広げました。
昨年(2022)のNHK大河ドラマの最終盤では、この地も描かれていたのは記憶に新しい所です。
また、天正12年(1584)、羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いの中で、秀吉が大豆戸(まめど)(現在の前渡)に陣を張った事が、兵庫県たつの市の文書に記されています。
前渡は昔から堤防の決壊が多い地域で、江戸時代には本堤防に当たる水流を弱め、堤防の決壊を防ぐとされる、猿尾堤(さるおづつみ)が築かれました。
明治時代、富樫明心(とがしみょうしん)が、京都の醍醐寺の塔頭を移転させ、仏眼院(ぶつげんいん)を開きました。昭和2年(1927)には、「岐阜県新十名所」に選定されるなど、前渡不動山は霊場としてよく知られる存在となりました。
出典:各務原市
「前渡不動山を南から見る」木曽川沿いにある低山です
「猿尾堤」堤を守るため、人柱として女児を埋めたという言い伝えもあります
「仏眼院」登山道は舗装されていて、徒歩10分程度で登り切れます
「山頂付近から南を見る」木曽川と濃尾平野が一望できます(左の小高い山は伊木山です)
(posted on 2023/1/2)