町並み探訪vol.43 (岐阜県各務原市・その8)
各務原市のコラムも遂に8ヶ月目。
様々な皆さまにご協力を頂いた事で、ここまでの長期にわたり取材を続けさせて頂く事が出来ました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
今回は、伊木山(いぎやま)です。各務原市南東部分に位置する標高173mの独立丘陵で、南面は木曽川に接しています。
横に平べったい形の山であることから「寝仏山」とも呼ばれることもあります。
織田信長は美濃攻略の際、香川長兵衛に命じて伊木山城を攻め取りました。この功績により、香川長兵衛は「伊木」姓を賜り、伊木清兵衛忠次と名乗りました。その際、信長は鵜沼城(各務原市鵜沼)・猿啄城(加茂郡坂祝町)攻略のために砦を築いたとされます。
伊木清兵衛忠次は、岐阜城城主の池田輝政の家老となりますが、秀吉からの信頼が厚く、戦功として直々に竹ヶ鼻城(羽島市)を与えられていました。
伊木家は、代々城普請の名手でもあり、墨俣城(大垣市)・田原城(愛知県田原市)などの普請を行いました。また、息子の伊木豊後守忠繫は、池田家の播磨国転封により、家老として姫路城を普請しています。
話は変わりますが、昭和2年(1927)現在の毎日新聞の前身となる新聞社の主催により日本八景を選定(後援:鉄道省)、河川部門では木曽川が選ばれていました。対岸の愛知県側から見た木曽川が対象なのですが、伊木山も景色として重要な役割を果たし、木曽川観光ブームの火付け役となりました。
今回、伊木山について調べたいと考えていた矢先、伊木山での各務原市の新人職員研修に同行させて頂ける機会を得ました。今回の撮影作品は、主にその時のものとなります。
協力:各務原市歴史民俗資料館 学芸員 長谷 健生様
出典:各務原市、各務原市歴史民俗資料館 学芸員 長谷 健生様
(全ての写真は了承を得て撮影しています)
「伊木の森」以前はテニスコートなどが有ったと記憶していますが、改修されました
「西曲輪2石積」左側には発掘調査の際に石垣が確認されました。右側は登山道
「曲輪1」山頂部分で、端にはテレビ中継局が建っています
「東曲輪2石積」比較的はっきりと石積が残っています、今は登山道の一部になっています
「伊木山からの眺め」木曽川は勿論、対岸には犬山城、遠く長野県境の恵那山や御嶽山も見えます
「各務原市歴史民俗資料館 学芸員 長谷 健生 様」ご案内を頂きました
「木曽川夕景」対岸からの木曽川の眺めは、借景として伊木山(写真中央部)も重要な役割を果たします
(posted on 2022/11/2)