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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

街歩き(27) マントン (フランス)

半世紀前とは言わないが一年間ほどイタリア トスカーナのプラートという小都市に住んでいた。午前中はバスでフレンツェに出向き美術学校の聴講生、午後には地元の語学学校に通い、長期の休みに入ると当時外国人のみに発行されていたスチューデントレイルパスを利用してヨーロッパ中を旅していた。今では入国が困難な中東の国々にも足をはこんだ。今想えば人生で最高の充実した気ままな時間を過ごしていた気がしてくる。

そんな時期にたまたま手にした一冊の小説が今回紹介するマントンへと私を導いてくれた。
今でも時折読み返すことがあるが、多感期に憧れそうな恋愛小説で、主人公の女性がパリで偶然出会った今では地下に潜り反体制運動の闘士となり当局に追われている学生時代の恋人との数日間の南仏への逃避行が主題になっている。
その二人が滞在先のマントンで開催されていた国際的な音楽祭をホテルの窓から眺め過去を振り返る場面が描かれ、バックにはオイストポーヴイッチが奏でるプロコフィエフの旋律が聞こえている。何故かその場面に強く引きつけられ、是非とも現地に出向き教会の広場に面した文中に描かれたホテルに滞在し、登場人物の心情に浸りたくなった。今振り返ると赤面の想いしかないが、あえて自己弁護をすると一人暮らしで言葉も思うように通じない異国の地での当初の寂寥感がそうさせたのかも知れない。
当時プラートからはピサ経由ジェノバに出てリビエラ海岸を西に行き、パルムドール受賞作「息子の部屋」のラストシーンのロケ地ヴァンテミリアの検問所で国境を越えコートダジュールの東端マントンに入る。6時間ほどの時間を要した。
コートダジュールには西からカンヌ、ニース、モナコモンテカルロとセレブ達が集う高級リゾート地が有名だが、それ以外にもそれらの高級リゾート地に挟まれるように多くの個性的、庶民的なリゾート地があるのも記しておこう。マントンも同様の庶民的なリゾート地だった。ヨットハーバーを見ると一目瞭然で、ニース、モナコ等では日本で決して目にすることができない大型で、豪華なヨット、クルーザーが繋留され目の保養には事欠かないが、マントンの港には手頃な大きさのヨットが多く繋留されていてほっとさせられる。

その後、ニース、カンヌには何度か訪れたがマントンにはなかなか足が向かず2016年に再訪する事になった。
目的はこの地に2012年に新設されたジャンコクトー美術館の撮影だ。設計者はフランス人建築家ルディ・リッチオッティ。日本ではマルセイユの地中海海洋博物館、ルーブル美術館イスラム美術展示室等の作品が知られている。
40年ぶりのマントンは季節のせいか多くの観光客であふれかえり、活気があり光り輝いていた。以前感じたひなびた感はあまりなく街全体が高級リゾート地への変革期であったようだ。

 街の東端にその美術館はあり地中海に南面が面している。海から遠望すれば海面を砂漠の砂に置き換えるとあたかも砂漠を横断するラクダの商隊のような感がするユニークが外観をしている。
そのラクダの足の部分が構造体となりガラスの部分をつり下げているように思え、足の一本一本の野太さにも納得出来、何よりのそのユニークなフォルムが微笑ましくなってくる。
東側は街の広場に面しこちらが正面になるが、海から眺める姿とは一画をなし左右に延びた水平ラインとラクダの足とのマッチングがこの建築の見せ場のようだ。
展示室は一階と地階で構成されジャンコクトーを知る上で展示物が見やすくコンパクトに展示され、展示物が地下空間の邪魔をしていない。

 滞在最後の日には40年前と同じ坂道を登り旧市街の教会前の広場にも行ってみた。
滞在したホテルは名前が変わり少々改装をしたようだが広場から眺める地中海の風景はなに一つ変わっていなかった。
変わったと言えば40年前にはホテルをめざし一気に駆け上った旧市街の坂道を何度も息をつき振り返り海が望めるのを確認しながらの道中になった事に時の流れを感じずにはいられなかった。

 蛇足ながら多感期の私をマントンへと誘ってくれた小説とは五木寛之著 変奏曲
映画化もされアートシアター系での上映であったが若き日の浅井愼平氏がムービーカメラをまわし、映像には原作以上のアンニュイ感が漂っていた記憶がある。

 さあマントンに別れを告げ何処に行こうか?ニースは近いしマルセイユ、アルル、アビニョン辺りもわるくはないか。

(posted on 2022/8/1)

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