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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN㊱「名足漁港」 宮城県南三陸町

私が東日本大震災後にはじめて南三陸町を訪ねたのは、震災から1年後の2012年。
今から10年前になる。
周辺では瓦礫の撤去と並行して震災復興計画が発表されたばかりで盛り土の造成工事はまだ始まっていなかった。砂けむりを上げながらダンプカーが行き交い、まるで大規模な再開発事業の工事現場にいる様だった。

朝日に照らされる名足漁港。

五十鈴神社(歌津中山)より望む。

南三陸町といえば「防災対策庁舎」を思い浮かべる方も多いのではないか。
この場所では町民を守ろうとした町職員の方々が、津波が押し寄せる最後の最後まで避難を呼びかけ続けたが、3階建ての建物を超える高さの津波に襲われ43名の尊い命が奪われてしまう。現在その防災対策庁舎は、震災の記憶と教訓を次世代へと伝えるべく整備された「南三陸町震災復興祈念公園」で静かに佇んでいた。

南三陸町は宮城県の北東部、リアス式海岸の豊かな景観を有する「三陸復興国立公園」のほぼ中心部に位置し、平成17年10月1日に旧志津川町と旧歌津町が合併して誕生した町。

リアス式海岸はV字型で奥へ行くほど狭くなるため、波が一箇所に集りやすい性質がある。
この地域は過去にも何度も津波による被害を受けてきたと言う。
それゆえに津波に対する防災意識も非常に高い町だった。
しかし、そのような意識をもっていた町でも、東日本大震災では想定をはるかに超えた自然の猛威に襲われてしまった。

2022年7月、再び訪れた南三陸町は当時と様子が一変していた。
復興商店街のオープンや、再開した魚市場など港町の活気を取り戻しつつあった。

早朝の名足漁港。ホタテの収穫から戻った漁師達で賑わっていた。

完成した防潮堤。

防潮堤新型ゲート 中山陸閘(りっこう) 

防潮堤(ぼうちょうてい)の工事が終わり、魚介類の搬出はこのゲートを通って行う。
フラップゲート式陸閘というシステムで、津波や高潮の浸水時に動力や人による操作を必要とせず、設備自身の浮力により自動的に開口部を閉塞する新しいタイプの陸閘。
東日本大震災では、防潮堤の門を閉めようとして津波に巻き込まれた事例があったことを教訓に新たに導入されたシステム。

なお、水門と陸閘の違いを説明しておくと、
水門は河川・運河の河口部に設けられた門のこと。 閉鎖することで海水の侵入を防止し、開放することで陸側の不要な内水を放出する。
陸閘は閉鎖することで海水の侵入を防止するとともに、開放することで堤防等の海側にある漁港等を利用するために人や車両等が防潮堤を横断きるようにするゲート。

ちなみに、海の波を防ぐ構造物として防波堤と防潮堤があり、よく似ているのだが以下のような違いがある。

防波堤は海の中にあり、外洋からの風波、津波に対して港の内側を波立たせないための堤防。
防潮堤は陸上にあり、高潮、高波、津波などの浸入を防ぐための堤防。

港から太平洋を望むと穏やかな海が見える。まさか巨大津波が襲って来たとは思えないほど。

三陸沿岸ではスーパー堤防や防潮堤の建設について賛否両論がある。

あんな大きな壁が有ると海が見えないと景観論を語る人や
津波から人々を守る為には必須だと言う人もいる。

いろいろと思うところがあるのだが、私の様なヨソモノが軽はずみな発言をしてはイケナイ。

(posted on 2022/7/11)

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