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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

「三輪晃久写真研究所」の思い出

私は2006年3月に建築写真で憧れていた神奈川県川崎市にある建築写真事務所

「三輪晃久写真研究所」に入社させて頂く事になりました。

2005年の12月に初めて電話をして入社させて欲しいと連絡をしました。

「三輪晃久写真研究所」では求人募集をしていたわけではありませんでした。

「どうしても勉強させて欲しい」「車の運転手でもなんでもいいのでお願いしたい」と

しかし、求人をしているわけではないのでとお断りされました。

当たり前の話しです。それから何度か連絡をさせて頂きましたがお断りされました。

今となってはとても迷惑な話だったと思います。

それから、しばらくして2006年1月に三輪晃久先生が亡くなられました。

私は最後にお願いをしたいという事で電話にて連絡をして初めて川崎の事務所を

訪ねる事をお許しいただきました。

登戸駅に向かう小田急線の電車内で多摩川を見ながら

「この窓から見る景色も最初で最後なんだな」と思いながら景色を眺めていたのを

今でも思い出します。駅に着いた私は言われた通りに事務所に向かうのですが

分からなくなってしまい、近くまで迎えに来てもらうという恥ずかしい姿でした。

初めて事務所にお伺いして私を笑顔で迎えてくれたのは

三輪晃士所長(以下所長と記す)でした。

今まで電話で何度も何度も連絡をしてもお会いできなかったので
どんなに怖くて恐ろしい人かと思いましたが笑顔で迎えてくれました。

新潟の地元で勉強したらどうですか。

なぜうちで働きたいのか?など。いろいろお話しをさせて頂きました

「何か顔を見たらお断りできなくなっちゃったよ」って言って下さいました。

きっと、所長を知っている方であればあの笑顔で話したんだろうな・・・って

想像が出来ると思います。私のわがままをお許し下さり念願の入社が決まりました。

いろいろ思い出はあります。ここで話したら時間がいくらあっても足りません。

約3年を過ごしました。いつもやさしい笑顔の所長と過ごした時間はとてもとても

大切で貴重な日々でした。私の先輩である元所員の皆様とは退社した今でも

頻繁に連絡をとりあい親交を深めさせて頂いております。私のわがままをお許し頂いた

師事である所長にはとてもとても感謝致しております。

最後になりますが私の携帯に所長の留守番電話のメッセージが3通残っています。

元気になりたい時に留守電のメッセージを聞いています。

「所長、早すぎます。寂しすぎます。会いたいです。」

「いなくなった今、私に出来る事を全力で頑張ります」

お断り:本来であれば三輪晃士さんとお呼びしなければならないのですが

今でも三輪晃久写真研究所の職員と勝手に思っており敬意をもって哀悼の意を表しております。

ご無礼をお許しください。
2022年7月4日

(posted on 2022/7/9)

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