町並み探訪vol.39 (岐阜県各務原市・その4)
今回は、市内南部 川島地区に来ました。
ここは平成16年(2004)に各務原市と合併するまでは、羽島郡川島町でした。
川島地区はその地名が示すように木曽川の中に浮かぶ「川中島」です。その昔、多くの中州で形成されていたこの地域は、洪水のたびに大きく流れを変える木曽川とともに暮らしてきました。
現在の川島地区の姿が定着したのは、天正14年(1586)木曽川の大洪水の後とされ、その後、大まかな川の流れは一定したものの、洪水となれば氾濫は後を絶たず、水害との闘いが川島地区の歴史ともいえます。
この地域では、水害対策として「ごんぼ積み」と呼ばれる石積みを家屋の基礎として建物を建てていて、特に川島地区の下流地域にはそれが多く残り、水との闘いの跡を現代に伝えています。
「ごんぼ」とは、「ごぼう」の地域名(特に岐阜県内ではよく言われていた名称です)で、石垣を正面から見るとごぼうの断面の様に見えることから名付けられたとも考えられるようですが、定かではないようです。
平成24年(2012)各務原市は、この景観の継承と再生を図るため、地区独自の景観計画である「ごんぼ積み景観計画」を施行、川島渡町・川島北山町の対象地域を「重点風景地区」に指定しました。
この地区を実際に歩いてみました。細い路地を歩くと、路地のギリギリまでごんぼ積みの石垣が迫り、石垣の真上に建物の基礎が置かれ、主に木造住宅が建っています。
石垣の高さは様々で、一般には水が漬かり易い下流へ行くほど石垣が高くなるようです。
また、石垣の真上に基礎が置かれるのは、建物の重みで石垣を押さえて安定させるためと考えられますが、敷地内を有効に広く使うためなど、様々な理由があるようです。
因みに、古くは城郭の石垣について、直上に櫓などが建っている事も同様の理由と考えられそうです。
なお、近年では強固な堤防が築かれ、河川改修が進んだことで、水害の心配が少なくなっています。実際に以前は洪水時に川になっていた所も道路や宅地に変わり、大変便利になっています。
また、建築基準法等により、改築時は道路から下がって住宅を建てる必要があるため、建て替えと共に景観は変わらざるを得ず、また世代の交代等によって意識も変化しているので、この景観が未来永劫続くかは判らないと言わざるを得ません。
出典:各務原市
(posted on 2022/7/2)