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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN㉟「馬場楠井出の鼻ぐり」 熊本県菊陽町

以前ブラタモリで紹介された「加藤清正の治水-鼻ぐり井出公園」。そこに流れるのが「白川」。その白川は阿蘇山の噴火による火山灰が沈殿し、直ぐに流れが悪くなってしまう。そんな白川の治水の為に各所に造られたのが「馬場楠井出(ばばぐすいで)の鼻ぐり」。熊本県の菊陽町へ撮影に行った帰りに見てきた。

鼻ぐり=牛の鼻輪を通す穴。井出=農業用水路。鼻ぐり井出は、用水路を作る際に堅い岩盤を残して造られた水を通すトンネルの溝穴の事。上流から流れてきた水は、幅の狭いトンネルをくぐる時に速さを増し、次の壁に勢いよくぶつかることで渦を巻き、その渦が水底にたまった火山灰・土砂を巻き上げて、下流の方へ押し流すという。タモリさんが番組内で「自動除灰システム」と命名した凄いシステム。誰がこんな凄い事を考えたかと言うと築城の名人「加藤清正公」。熊本では「セイショコさん」と呼ばれて慕われているそうだ。近年震災によって被災してしまった熊本城も加藤清正公が築城した天下の名城。

鼻ぐりを駆使した農業用水の効果で多くの畑が田んぼに転換されたという。火山灰に覆われた熊本の田んぼは雨水を多く取り込む事によって、水の循環が進み、地下水はさらに潤沢になった。熊本県が「水の国」とも言われる所以に通ずるのかもしれない。

この川を流れる音が面白かった。ゴボゴボゴボ!と、どこかの温泉で源泉が湧き出る様な不思議な音が響いていた。

話は逸れるが、戦国武将の中で「加藤清正」は好きな武将の一人だ。加藤清正については各書で多く語られているが、中でも好きなエピソードがある。

「関ケ原合戦の後、天下の趨勢が決定したことで諸大名は続々と徳川家康のもとへと参上した。しかし、そうした状況のさなかにも大坂へ伺うことを辞めない加藤清正に対して、徳川家康は『江戸には参上しないのに大坂には参上するとはどういうことか』と問い詰めたという。それに対して、加藤清正は『大坂を素通りするのは太閤の御恩を考えればもってのほかであり、参上しないのは人の道を外れている』と言い放ったそうだ。これには家康も苦笑いするしかなかったという。」加藤清正の仁義を重んじる姿勢が素晴らしい。


馬場楠井出の鼻ぐり原寸模型

馬場楠井出の取入口発掘調査で出土した石材

享年数え年50歳。加藤清正はくしくも誕生日と同じ日に亡くなる。本人は財産といえるほどのものは残していないと言うが、その代わりに「徳」を遺したのではないかと馬場楠井出の鼻ぐりを見ながら思う。

参考資料:菊陽町文化財 ツーリズム 鼻ぐり井出
https://www.kikuyotsu-rizumu.jp/hanaguri/

(posted on 2022/6/9)

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