町並み探訪vol.31 (岐阜県可児郡御嵩町・その1)
前回までの飛騨地方から、再び南部の美濃地方へと戻ってきました。
御嵩(みたけ)町は岐阜県の中南部に位置し、北は木曽川に接しています。東は瑞浪市、南から西にかけて土岐市・可児市と隣接しています。
昭和40年代以降、可児郡には3町ありましたが、昭和57年(1982)可児町が市制施行し可児市へ、平成17年(2005)兼山町が可児市に飛び地合併した事で、現在は可児郡に属する唯一の自治体となっています。
御嵩町内は約60%が森林という、緑豊かな風景が広がるまちです。町を東西に旧中山道が貫いていて、東に接する瑞浪市の細久手宿の次の宿場町として、御嶽(みたけ)宿、そして伏見(ふしみ)宿の2宿があったとされています。
西に接する可児市には宿場町はひとつもなく、次は太田宿(美濃加茂市)となることから、伏見宿は、実質的に太田の渡し(木曽川)を越えるための待機地点となっていたのではないかと、個人的には感じます。
今回の取材地、「商家竹屋」(しょうかたけや)は、江戸時代の宿場町「御嶽宿」の中にあります。
主屋は明治10年(1877)頃の建築と推定され、切妻2階建て、中央の土間をはさむ東側に6間、西側に2間と台所があるという、一般的な住宅とは異なり、店舗を目的とした造りの建物となっています。
また、茶室は中庭をはさみ、主屋と縁で結ばれています。明治36年(1903)以降に建築されたものとみられます。
平成9年(1997)、主屋と茶室が御嵩町指定有形文化財となり、修復整備を終えた平成15年(2003)「竹屋資料館」として開館しました。
「商家竹屋」は江戸時代末期、本陣職を務める「野呂家」から分家し、商いを中心として代々受け継がれてきました。天保13年(1842)「御嶽宿宿並絵図」によれば、本陣の東隣に組頭としての記載があるほか、宿内で2軒ある商屋のうちの1軒でした。その家業は本陣と並んで御嶽宿一体の大地主であり、年貢米を大きな収入源にしていました。明治後期以降は、蓄えた財をもとに株式投資や名古屋での借家街の経営、その後名古屋にも居を構え、実業家としても幅広く活躍しました。
「名鉄 御嵩駅」名鉄広見線の終点のため頭端式となっていて、駅からわずかな距離で御嶽宿に到着します
「謡坂(うとうざか)石畳」御嶽宿から徒歩約1時間 町内の中山道の一部は国史跡に指定されています
「商家竹屋」旧中山道に面した主屋
「茶室」商家竹屋の主屋から中庭をはさみ、縁で結ばれています
「茶室内観」4畳半2部屋から構成されています
「店の間」現在は資料館として、町民の作品展示会などにも活用されています
「座敷3間」主屋内の東側には、座敷が3間連なっています
「縁側」通りに面した部分は格子状の建具が入っています
出典:御嵩町ホームページ
(posted on 2021/11/2)