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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

町並み探訪vol.29 (岐阜県高山市・その5)

JR高山本線 高山駅から東へ約10km、高山市丹生川町(にゅうかわちょう)へと移動します。国道158号線からほんの少し、山沿いに入った所が今回の訪問地、田上家(たうえけ)住宅です。

明治15年(1882)建築の農家建築で、完成までに12年の歳月を要したといわれます。
高山市内の古い町並(下二之町大新町伝統的建造物群保存地区)の中にある「日下部家住宅」を造った河尻治助に依頼した建築で、共通の意匠を取り入れられた凝った造りとして、近代民家建築の代表作とされています。
平成19年(2007) 高山市指定文化財となりました。


「田上家住宅 外観」自然豊かな中に建築された農家建築です


「玄関付近」松の巨木による豪快な梁で大空間を確保しています


「本座敷」付書院を持つた本式の床の間があります

養老2年(718)、当時の中央政権は飛騨国の税を免除し、「匠丁(しょうてい)…木工技術者の事」を都へ派遣するよう求めていました。これが飛騨工(ひだのたくみ)制度と呼ばれ、全国で飛騨国一国のみに対して特別に定められた制度でした。
奈良時代から平安時代にかけ、都では今も残る寺社仏閣が建立されましたが、「飛騨匠」が卓越した技術を発揮した記録も残っているそうです。
その後の戦乱期には活躍の記録を見つけることが難しいそうですが、太平の世となる江戸時代から再び、飛騨匠の活躍が見受けられるようになりました。
中でも「水間(みずま)一門」と「松田(まつだ)一門」は、近世・近代に活躍する飛騨匠の代表格とされています。
水間一門は、伝統的な建て方を特徴としているそうで、以前のコラム27にて取材させて頂いた「大雄寺山門」がこちらの一門による建築です。
松田一門は、梁の建て方では男性的な力強さを表現し、また優れた彫刻を施すことが特徴で、今回の田上家住宅は、こちらの一門による建築です。


「欄間の彫刻」どちらも海の物で、ミル(海藻)とサンゴであると、家主様から伺いました

協力:田上家住宅
出典:高山市ホームページ、飛騨高山観光公式サイト

(posted on 2021/9/2)

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