町並み探訪vol.25 (岐阜県高山市・その1)
岐阜県は南部の美濃地方と北部の飛騨地方に大きく分けることができますが、高山市は飛騨地方に属しています。
明治8年に合併により高山町が発足。その後も合併を行い、昭和11年(1936)に市制施行、高山市が発足しました。その後平成17年(2005)には近隣9町村との合併により、日本一広大な面積を有する市になりました。(東京都とほぼ同じ面積)
天正13年(1585)秀吉の命により金森長近が兵を進めて以来、金森氏が6代107年間にわたり治め、現在の基盤が形成されました。その後は徳川幕府直轄地(天領)として代官・郡代が置かれ、この地域の中心地としての基盤が確立しました。
明治維新により慶応4年(1868)に飛騨県がおかれた後に高山県となり、明治4年(1871)には筑摩県、明治9年(1876)に岐阜県の管下となりました。
高山と言えば「高山祭」のイメージを持たれている方が多いと思いますが、今回はその「高山祭」について進めていきます。高山祭とは、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」の二つの祭りを指す総称で、高山の人たちによって大切に受け継がれてきました。
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年~1692年)、屋台の起こりは1718年頃と言われています。
高山祭屋台は、昭和35年(1960)国の重要有形民俗文化財に指定、平成28年(2016)には「高山祭の屋台行事」を含む「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
今回、実際に訪問出来たのは「春の高山祭」です。ちなみに春と秋では前述のとおり違う神社のお祭りである為、屋台も異なります。
春の高山祭の場合、本来であれば祭屋台12台が町に繰り出し、曳き揃えられるのですが、新型コロナウイルス感染症対策として、今年の行事は曳き揃え、からくり奉納などが中止、祭屋台は屋台蔵での披露となりました。
しかし、天候が良かった事もあり、屋台の維持などの為、時間と区域を限定して短時間のみ屋台が曳かれました。写真はその時のものが中心です。
今回主に取材した屋台「三番叟」(さんばそう)は、春の高山祭でからくりを披露する3台のうちの1台で、宝暦年間(1751年~1764年)の創建とされています。近年では平成22年度(2010)に構造の外装修理を行っています。また、からくりは、平成23年度(2011)に修理を行っています。
祭の組衆に聴くと、以前は町の旦那衆が屋台を所有していたようですが、費用や維持も大変であることから次第に町ごとに屋台を管理するようになり、現在の形になったようです。なお、他地域との対抗心などもあり、屋台の装飾などは順に華やかになっていった様です。その中、三番叟は比較的古い時代からの形を保っているようで、春の高山祭の屋台では唯一、伊達柱(だてばしら)が有りません。
※伊達柱とは、構造に関係ない装飾用の柱(赤い幕の辺りに立てる漆塗りの柱)のこと
「三番叟と町並み」 時間と区域を限定して屋台が曳かれた
「見返り」 後方の幕(見返り)は、昭和になってから取付けられたという
「戻し車」 高山の屋台では、屋台後方寄りに小さい車輪を出して方向転換をする
「細い路地を行く」 屋台の地上高は信号よりも高く、注意して進んでいく
「屋台蔵」 木造建・漆喰で塗られており、屋台は祭以外の一年間をここで過ごす
「祭神(さいじん)」 以前のからくりが、屋台蔵一番奥に奉納されている
「からくり」 現在は5代目のからくりが屋台の先頭に飾られている
「屋台蔵と屋台」 今年の祭りでは屋台蔵での披露とされた
出典:高山市ホームページ、飛騨高山観光公式サイト
※屋台蔵内部等、特別に許可を得て立入・撮影しております
(posted on 2021/5/2)