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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

設立25周年企画展
25th anniversary exhibition

コラム

Column

NO PHOTO NO LIFE ⑮ ~ノンストップ930Kmの撮影業務 徳島へ~

4月某日
嬉しいメールが入った。
今年に入って新規の顧客としてお仕事をさせて頂いた法人顧客の担当者から再度撮影の依頼をしたいとの話だった。
「二度ある事は三度ある」僕の人生は人との縁に生かされてきた人生でしかないので、二つ返事でお受けしたいという旨を伝えた。
内容を聞くと納期が超タイトなもので、自分のスケジュールを確認すると納期まで全て埋まっていて絶望的だった。
それでも、そのクライアントと付き合い深まる予感を信じて周囲の関係者に無理を言って強引にスケジュールを確保した。
撮影場所を確認すると四国の徳島での撮影依頼だった。
自分が身体を空けられるチャンスは1日。
ますは天候を確認するとその日の徳島は終日快晴の予報だった。
報酬に関する駆け引きはあまり得意でないので、僕は究極のプランを提示した。
それは、高速道路を使わずに下道で片道460Kmを超える距離を走行して現場を往復するという提案だった。こちらの努力で詰める事の出来る経費削減の限界の提示だった。先方の担当者にその熱意はすぐに伝わったようでその場で受注が決まった。しかも更にその他の撮影業務も依頼してくれるというのだ。
要は、単体で渋い損益であってもグロスでメリットを出してくれ!という心温かい、所謂「ご高配」を賜った訳である。
急ピッチで先方と撮影行程のやり取りを行い初めての四国徳島への遠征撮影となった。

前日の夕方までブライダルのカップルフォトの撮影を行っていた僕は、そのまま
夕方の下関を後にして、一路徳島へと機材車を走らせ始めた。
周南を抜けて、岩国を抜けて、広島を抜けて、尾道を抜けて、福山を抜けて、岡山に入って瀬戸大橋のたもとまで来た時は夜中の3時を回っていた。
徳島の繁華街での大型建築物の撮影の為、街の人が活動を始める前の早朝になんとか撮影を始めなければならない理由から、どれだけ睡魔に襲われても目的地まで止まる訳にはいかなかった。
それは、自分が提示したプランを信頼して業務委託を決定したクライアントに対する自分の誠意とプライドだった。
下関を夕方の19時に出て徳島に到着したのは朝の5時半を回っていた。
「この時間からなら落ち着いて撮影ができる!」
僕は最初の安堵のため息を吐きながら撮影の準備に入った。

約4時間の撮影を終えて帰路を目指すことにした。
翌朝の早朝から別件の業務が入っているため、復路も立ち止まる事が許されない状況だった。

往路の夜景とは一転した快晴の瀬戸大橋は壮大な景色だった。

下関に辿り着いたのは夜の10時だった。

移動時間22時間
撮影時間4時間のノンストップでの徳島遠征は無事に終了した。

自分にとってカメラが遊びじゃない事を改めて自分自身で感じる事のできた26時間だった。
一か八かの賭けをする相手はいつも自分自身なのだと思う。

(posted on 2021/4/20)

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