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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

設立25周年企画展
25th anniversary exhibition

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN㉘「赤沢宿 大阪屋」その参 山梨県早川町


閉館から10年が過ぎた状態(2015年撮影)

近所に住む大阪屋を管理している方に案内して頂いた。

普段は雨戸を全て閉めているので、先ずは雨戸を開けるところから始める。
空気の入れ替えの為に月1回は開閉していたと言うが、普段使用していないと建物が傷むのも早い。畳や照明器具も参拝集団である「講」の定宿として稼働していた時のまま時間が止まっている。この時は撮影出来なかったのだが、明治時代から使用されていたという女中部屋もそのままの形で残っていた。

最初に見て驚いたのは「照明器具」。ほとんどの部屋には白白と光る蛍光灯がぶら下がっていた。これだけ歴史のある立派な建物なのに、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している空間にはそぐわない様に感じた。まるで身延町にある親戚のおばさんの家に来ているようだ。そこでは、照明はとにかく明るければ良いといった考えが基本で、空間を全体的に明るくする全般照明がこうこうと輝いている。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」が語っているように、きっと昔は雰囲気がある照明器具が使われていたのではないかと思う。それが高度成長期の経済発展や物質的豊かさを求めていた時代に、「明るさ=豊かさ」という感覚が根付いてしまったのではなかろうか。昭和の香りを残した海辺の民宿や日本各地にある古びた旅館などでも、いまだに部屋の中央に照明器具を置いて全体を白白と照らしている宿も少なくない。普段、自宅では白熱灯の目に優しい光の中で生活しているので、旅行や出張で地方の旅館に泊まった時に、このような事態に遭遇するとリラックスできないばかりか、とても残念な気持ちになる。そんな事を考えながら見学していた。

しかし、よくよく考えたら、この建物は余暇を楽しむ為に存在していたわけではなくて、身延山から七面山へ移動する時の休憩地点としての役割を担っていたのである。そう考えると、白熱灯の雰囲気ある照明がどうのこうのと言うのは、とんだお門違いかも知れないと思った。

閉館してから10年近く過ぎているので、館内は廃墟化しているのでは無いかと想像していたが、思いの外、綺麗に清掃が行き届いていた。

写メを撮って知人の建築家に送ったところ、直ぐに返信がきた。

「実際に観てみたいです」

この時は大阪屋が「再稼働」するとは思いもしなかった。

(posted on 2020/10/26)

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