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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN㉗「赤沢宿 大阪屋」その弐 山梨県南巨摩郡早川町 

日蓮宗の総本山である身延山の久遠寺(くおんじ)とそれを守る七面山の敬慎院(けいしんいん)を結ぶ参道にある宿場が赤沢宿。
詳しくは、以前執筆した「NOSTALGIC JAPAN⑥江戸屋旅館 早川町」を要参照。
https://japs.jp/column/2102/


(クリックすると拡大します)

距離:身延山久遠寺~赤沢宿 約10km 徒歩 約3時間
   赤沢宿~羽衣橋 約2km
   羽衣橋~七面山敬慎院~神通坊 約8km 約5時間
★所要時間は個人差がるので一概には言えない。おおよその目安。

【身延山(みのぶさん)とは】
身延山(標高:1153m)は古くからの霊山として信仰の対象、修行場だった場所で、山頂には日蓮宗総本山である久遠寺の奥之院である思親閣が建立された。日蓮宗の開祖で久遠寺を開山した日蓮上人は当地に在住した9年間、西谷の草庵から身延山の山頂まで約50丁の山道を登り詰めて、房州小湊(現在の千葉県鴨川市)にいた両親や師である道善房の追善供養を行ったとされ、日蓮が死去した翌年に弟子達が久遠寺の奥之院として思親閣を創建。現在残されている思親閣祖師堂は入母屋、本瓦葺、妻入、正面1間向拝付、身延町指定文化財に、日蓮が両親と道善房の追善供養の為に手植えしたと伝わる杉の大木は身延町指定天然記念物に、元政上人埋髪塚は身延町指定史跡にそれぞれ指定されている。


身延山久遠寺

【七面山(しちめんさん)とは】
七面山(標高:1982m)は、日蓮宗の開祖で日蓮宗総本山の久遠寺を開山した日蓮上人の高弟日朗上人が開いたと伝わる霊山で。日蓮宗の守護神や鎮守とされる七面大明神(七面天女)が祀られている事が名称の由来となっている(別説では大きく崩壊した崖が7箇所ある事から=ナナイタガレノタケ→七面嶽→七面山に転じたとも)。山頂付近に境内を構える敬慎院は七面山の信仰の中心的な存在で七面大明神(七面天女)を祀ると共に宿坊でもあり現在でも数多くの登拝者を迎え入れている。

敬慎院の随神門の正面の丁度中央付近に富士山の山頂が納まるように計画的に配置され、七面山と富士山を意識的に関連付けさせるような工夫が見られる。元々は女人禁制の山だったのだが、徳川家康の側室で日蓮宗を篤く帰依した「お万の方」が麓の白糸の滝で身を清め、女性としては始め登拝した事で、女人禁制の禁がはずれたと伝えられている。

余談だが、山岳信仰のある山を「さん」と呼ぶことが多い。
富士山(ふじさん)、高尾山(たかおさん)、筑波山(つくばさん)、榛名山(はるなさん)、赤城山(あかぎさん)、男体山(なんたいさん)、磐梯山(ばんだいさん)、岩木山(いわきさん)、月山(がっさん)鳥海山(ちょうかいさん)、八甲田山(はっこうださん)、西へ行くと高野山(こうやさん)、六甲山(ろっこうさん)、阿蘇山(あそさん)。
そして、身延山(みのぶさん)、七面山(しちめんさん)。
例外もある。比叡山(ひえいざん)、大雪山(たいせつざん)など。

【赤沢宿の講中宿】
江戸時代後期から大正時代にかけて赤沢宿の最盛期だったとされ、9軒の旅籠(恵比須屋、玉屋、両国屋、大黒屋、萬屋、喜久屋、信濃屋、清水屋、江戸屋、大阪屋)が軒を連ねていた。大正9年の身延駅開業により七面山登拝は隆盛を極めるが、昭和30年以降の道路整備及びモータリゼーションによって、徐々に宿泊客は減少をたどって行く。


※江戸屋から大阪屋を望む(2015年撮影)

2015年に江戸屋旅館の取材時に、向かい側にも大きな旅館がある事に気が付く。江戸屋のおばさんに聞くと「大阪屋」だという。閉館してから10年くらい過ぎているらしい。どうにも気になって仕方がないので、建物を管理している方を紹介して頂き館内を見学させて貰う。

【 参考:サイト 】
『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


【 参考:文献等 】
・郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-山梨県-出版元:株式会社人文社
・現地案内板-早川町教育委員会

(posted on 2020/8/27)

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