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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

町並み探訪vol.16 (岐阜県瑞浪市・その2) 

前回に引き続き、岐阜県瑞浪市を散策する。
江戸時代には現在の瑞浪市域北部を東西に中山道が通っており、東は大井宿(おおい・恵那市)から西は御嶽宿(みたけ・可児郡御嵩町)へと抜けていた。
瑞浪市内には、御嶽宿寄りには細久手宿、大井宿寄りには大湫(おおくて)宿の2宿が設けられていた。
細久手宿は、江戸から48番目の宿で、慶長11年(1606)に設けられた仮宿が始まりとされる。
大湫宿は、細久手の一つ江戸寄り、47番目の宿で、慶長9年(1604)に正式に宿場として設置された。美濃16宿の中で標高が一番高く急坂が続いていたこともあり、難所とされていたようである。
更に、東西を峠に挟まれていることから、近代交通が発達せず不便な地でもある。因みに主要国道である国道19号線やJR東海の中央本線はここより更に南の中心市街地付近を通過しており、そのことが逆に静かな風情を今に残しているとも言えるだろう。


「大湫宿の旧街道筋」道幅が狭く、低層木造建築が目立つ街並みが往時を忍ばせる

大湫宿の『旧森川訓行家住宅』を訪問する。
ここは旧宿場の北部に位置している。旅館や問屋を兼ねた森川氏の住宅で、一族の中で区別をするために「マル森」と呼ばれ、尾張藩の許可を得て塩の専売を行い、繁栄を極めたといわれている。


「旧森川訓行家住宅」平成18年(2006)8月、国登録有形文化財に指定された

正確な建築年代は不明だが、大湫宿は文政9年(1828)に大火に遭っているため、それ以降の可能性が高いという。
主屋は木造2階建てで、正面の格子や漆喰造り袖壁などに宿場の景観を残している。主屋の西に庭があり、街道側に塀をめぐらせている。


平成28年(2016)改修工事が行われ、現在は観光案内所兼無料休憩所となっている。

ここ大湫宿の中心部に鎮座される大湫神明神社には、周囲11メートル、高さ40メートル以上、推定樹齢1,200~1,300年とされる瑞浪市内最大の巨木である大杉が御神木・大湫町のシンボルとしてそびえていた。しかし、先日の2020年7月11日夜、当地を襲った豪雨で、根こそぎ倒れてしまった。実際に現地を訪れると、隣の住宅は一部損傷しているが、近くにあった祭に使う山車を保管する蔵も含め、大きな被害は免れた事が判る。
大木が倒れたのに最小限の被害で済んだのが奇跡の様でもある。しかし、大杉のあまりにも無残な姿から、私はカメラを向ける事が出来なかった。報道写真家なら当然撮るべきであろうが、私にはその気持ちになれなかった。
極度の長雨の影響で、今回の取材は倒木後となってしまったため、結局私は往時の御神木のお姿を拝見する事は出来なかった事が残念である。

また、当地へ向かう途中も、各所で土砂崩れや道路への土砂流入跡、片側通行などがあり、この豪雨の爪痕は暫く残る事になりそうである。
大湫神明神社を含め、豪雨被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げると共に、修復が少しでも早く進むことを祈念するばかりである。

出典:瑞浪市ホームページ

(posted on 2020/8/2)

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