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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

設立25周年企画展
25th anniversary exhibition

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN ㉓「陽龍」 名古屋市北区 

名古屋へ撮影に行くと必ず立ち寄るラーメン専門店「陽龍」さん。
かれこれ28年も通っている。サラカメ(サラリーマンカメラマンの略)時代、自社現像所が近所にあり、入社当時は社員寮に住込みで暗室を勉強していた。だからかも知れないが「陽龍」=「酢酸」の匂いを思い出す。当時は毎日通ったほど大好きなラーメン。毎度『特製ラーメン』を注文する。見た目は喜多方ラーメンの肉そばのイメージ。澄んだ豚骨醤油スープであっさりしたラーメン。一口頂くと至福を感じる。超絶美味い。チャーシューも絶品。今でも関西方面へ撮影に行った帰りに立ち寄ってしまう。本来ならば新名神高速道路から伊勢湾岸道へ進むところを、名古屋高速都心環状線に入り黒川ICを途中下車して食べに行く。毎日食べても飽きない。麻薬が入っているのではないかと思うほど常習性がある危険なラーメン。ちなみに余談だが金曜定休日の場合は「尾張ラーメン第一旭 錦店」へ行く事もある。

 ノスタルジックな店構えは「昭和」。福岡県小倉市の老舗ラーメン屋「珍竜軒総本店」を彷彿させるその佇まいは雰囲気抜群。不味いハズが無い。創業は昭和47年。暖簾をくぐるとL字のカウンター席のみで全席禁煙。厨房では「職人」という感じの店主と女性スタッフが絶妙なコンビネーションでラーメンを作る。店内はお世辞にも豪華とは言えない内装だが、キッチリ清掃が行き届き気持ちが良い。ここに来ると、亡くなった祖母がよく語っていた言葉を思い出す。『ボロは着てても、心は錦』=「被褐懐玉」老子に由来。
蓮華で一口スープを啜ると、何とも懐かしい味と共に、店主の仕事に対する姿勢と熱意が五臓六腑に染み渡る。いつ来ても変わらない味。私は毎度チャーシューを噛みながら、店主のラーメン作りに対する姿勢も噛みしめている。スープを最後の一滴まで飲み干す頃には、自分の撮影に対するスタンスを反省し懺悔している。「店主の様に真摯に写真と向き合わなければダメだ!」そう思いながら店を後にするのだ。

蛇足だが、皆さん起業から1年で6割の会社が倒産しているのをご存じだろうか?「一国一城の主」を目指し、独立開業したもののあえなく1年で倒産、そんなケースは決して珍しくない。会社が生き残る率、つまり会社生存率に関する中小企業庁のデータを見ると、創業から1年後に約3割の会社・個人事業主が廃業すると言われている。また、3~5年間のスパンで見ても、生き残っているのは全体の40~60%。数年内で約半分が撤退を余儀なくしている。ちなみにラーメン屋の生存確率はと言うと、起業して1年後に約50%。5年後に15%。10年後には3%。30年後には0.02%しか生存していないらしい。このデータを見るだけで、50年近くも営業している「陽龍」がどれだけ凄い事なのか分かるだろう。けっして偶然では無い。運が良かっただけでも無い。何か理由があるのだ。その秘密はラーメンのスープに隠されているのかも知れない。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

江戸時代の大名、松浦清(松浦静山)の言葉。かつて故・野村克也監督の座右の銘として話題になった事もある。経営者の皆さんは一度「陽龍」の暖簾をくぐる事をお勧めする。

陽龍

(posted on 2020/3/16)

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