日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

町並み探訪vol.10 (岐阜県可児市・その2) 

引き続き可児市久々利から、まずは久々利城跡へと登る。
守護大名土岐市の一族、土岐久々利氏が築いたとされ、天文17年(1548)鳥峰城(美濃金山城)主の斎藤妙春を討ち、この一帯を支配した。しかし、天正11年(1583)に美濃金山城主の森長可(ながよし・森蘭丸の兄)に討たれ、久々利城は落城した。

以前、美濃金山城跡にも登ったが、久々利城跡は近年に再整備されたからであろうか、比較的登りやすいと思う。
しかし、順に険しい石段や木で押さえた階段など、元久々利まちづくり委員会(久々利城跡城守隊)が整備した苦労がよくわかる。整備までは、入るのが難しい程の状況だったことを考えると、こんなに容易く登ることが出来る今の状況はとてもありがたく感じる。
(元久々利まちづくり委員会については、前回のコラムを参照ください)

「桝形虎口跡から城の上部を望む」

桝形虎口跡を越え、三の丸跡、二の丸跡へと登り、遂に本丸である。
山道はとてもよく整備されていて、晴天日なら難なく登れると思う。
本丸跡からは、主に南西方向から南東方向に掛けての見晴らしが良い。実際に見ると、現代では東は土岐方面から、西は可児市街方面へと繋がる(通称)安土桃山街道と呼ばれる県道84号線がよく見える事から、三河から美濃への軍事的にも重要な地点だったと考えられる。

「久々利城本丸跡・本丸跡からの眺め」

次に以前にも訪れたが、同じ可児市内の兼山(かねやま)地区の国史跡「美濃金山城跡」(みのかねやまじょうあと)。ここは戦国時代、森家の居城だった。
織田信長に仕え、「本能寺の変」で、織田信長と共に亡くなった若き武将 森蘭丸 の生誕地でもある。
眼下に木曽川が流れ、東側以外の全てが見渡せることから、ここも軍事的に重要な拠点だった事がよく判る。

「美濃金山城跡・本丸跡からの眺め」

可児市内には、美濃金山城跡、久々利城跡も含めて10カ所に山城跡が確認されていることから、観光交流拠点として兼山地区に「可児市戦国山城ミュージアム」が開館している。

「可児市戦国山城ミュージアム」 懸け造り構造で、約135年前に小学校として建設

(posted on 2020/2/2)

林政司

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