NOSTALGIC JAPAN ⑥江戸屋旅館 山梨県早川町
江戸時代の面影が残る宿「江戸屋旅館」を訪ねて~ 山梨県早川町赤沢宿 ~
重要伝統的建造物群保存地区
早川町赤沢宿は、江戸時代の頃から日蓮宗身延山と七面山を結ぶ身延往還の宿場として栄えてきた。しだれ桜で有名な身延山の九遠寺から身延本山に登頂し、反対側の七面山に向かって山道を下る途中、山地の中腹に位置する小さな集落。
江戸時代から昭和にかけて、江戸東京の下町を中心に組成された身延講の参詣者で大いに賑わっていたらしい。参詣者は、ここで一泊し、赤沢から沢を越えて山岳信仰の霊山である七面山に登って行った。
現存する伝統的な家屋は江戸時代から明治・大正期にかけて建てられ、その約七割が主屋。 平屋建て小屋組構造に古式を残し、かつては板葺き屋根の集落であったと言う。 明治初年に九軒の旅籠屋があったようだが、後に増・新築した総二階造りの旅館型主屋に変わっている。現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている貴重な場所である。
江戸屋旅館
江戸屋旅館は、現在、赤沢宿で二軒だけ営業している旅館の一つ。
2010年に俳優の阿部寛さんや仲間由紀恵さんが出演されたドラマ「TRICK新作スペシャル2」のロケにも使用された。劇中では「亀の屋旅館」と呼ばれていた。
ちなみに、向かいの「大阪屋」は2016年にゲストハウスとして復活する。
①2015年現在の江戸屋外観 L字形の土間が特徴的
②早朝の赤沢宿。心安らぐ里の風景。ゆったりとした時間が流れている
③参拝客は何処からでも土間に入れる
④縁側付の細長い土間。大勢の参拝客が一斉に草鞋を脱いだり履いたり出きる
⑤参拝客が多い場合は、一人一畳を雑魚寝同様で使う。100人が泊まれる
⑥昼間は格納式の雨戸は開けられている
27代目・現役女将 望月絹さん
江戸屋旅館は代々、七面山に参拝する信者らの道中の昼食作りを請け負ってきた。
一度に数百人の団体で登る信者が多く、一人につき2個持たせるおにぎり作りは夜中の2時過ぎから始まる。多い日には数百人分のおにぎりを、早朝から七面山に登るお客さんのために今でも作り続けている。70年ほど前に江戸屋に嫁いで以来、ずっとおにぎりを握り続けてきた27代目・現役女将の望月絹さんは「険しい山道を歩く衝撃でおにぎりが崩れないように、外側はしっかり握り、内側はふっくらさせる。力加減がすごく難しいのよ」と言いう。
手の感覚だけで米150グラムをぴったり取り分け、絶妙な加減で均一な形を作る。
その両手のひらには、おにぎりの角が当たる中指と薬指の間にタコができていた。
望月絹さんに江戸屋旅館の歴史を伺ってみた。
江戸屋は江戸後期(天保13年)に主屋を建築し、明治10年に2階を増築されたそうだ。
当時使われた甲冑や刀が大切に保存されている。
明治の最盛期には40戸ほどの集落に九軒の旅館があり、蔵や民家にも宿泊するほど繁盛したという。しかし、交通の便が発達するにつれて、1990年代には六軒あった旅館は2000年に三軒に減り、2005年には江戸屋だけになってしまった。
「戦争中にはB29爆撃機が甲府を空襲した後、基地へ帰る途中に余った爆弾を七面山へ投下破棄してね。大きな爆発を目撃したのよ。でもね、それを知っている人間も私だけになっちゃった」と笑う。
①白装束姿の参拝者集合写真(昭和40年撮影)
②凛とした佇まいの27代目・現役女将の望月絹さん
③江戸屋外観写真(明治39年撮影)
④縁側に座る参拝客(昭和8年撮影)
⑤おにぎりの調理風景
※資料提供江戸屋旅館
早朝に開放した雨戸は、夕方になると格納板を開け雨戸をスライドさせて閉める。けっこうな重労働だ
①晩御飯は山菜のてんぷらや湯葉をつまみに日本酒を呑む。とても手の込んだ料理
②二階の軒下に掲げられた看板も年季が入っている
③④⑤大小の広間で参拝客は休息をとる
①大阪屋の2階縁側から江戸屋を望む
②干し柿が熟すのを待つ
③明治10年に上屋・下屋根が笹板(栗ヘギ板)葺からトタン葺きに変わった
④蔵の書体が目を引く
⑤蔵の屋根には大正11年に当時イギリスから輸入され始めたトタンが使用された
⑥玄関よりも参拝客が出入りする土間の方が広い間口となっている
早川町赤沢宿に来ると、インターネットや携帯電話の電波が届きにくかったりして、便利さに慣れた都会の人間には不便に感じる事も多い。しかし、裏を返せば、下界との交信を一切遮断出来るので、仕事のストレスから開放される。また、四季折々の自然景観が目と心に優しい。
光害が無いので星空が美しい。目の前の水場の音、少し歩けば川と行場の滝の音に耳が癒される。近代的なモノ、奇抜なモノが何一つないので、都会の喧騒を忘れるには最高の旅館だと思う。便利さと引換えに大切なモノを失ってしまった事にあらためて気がつく。
※このコラムは2015年に「けんせつPlaza コンパネブログ 写真家の目~日本建築写真家協会~」に掲載されたものを再編集しました。
(posted on 2018/5/5)