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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

設立25周年企画展
25th anniversary exhibition

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN ④不動通り商店街「コインランドリー太陽」 渋谷区本町 

初台・新国立劇場の裏手側にある不動通り商店街。近くに荘厳寺の不動明像があることから「不動通り」と呼ばれている。全長約2kmあるこの通りは寺への参道として古くから賑わい、現在も多くの店舗が軒を連ねる。
撮影現場のロケハンをしていたら、ふと気になる風景に遭遇。何故か懐かしい。初めて訪れた場所なのにそんな気がしない。
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夜、ビールを飲みながら、映画「竜二」を観る。何度も観たラストシーン。竜二が肉屋の特売の列に並ぶ妻と娘を見つめて、無言のまま涙を流してきびすを返し立ち去って行く名場面。

ハッと思い出した。昼間ロケハンに訪れた場所は「竜二」のラストシーンで登場するあの商店街だ。

「竜二」は33歳の若さで亡くなった金子正次が脚本・主演したヤクザ映画。金子正次の出演した映画はこの「竜二」しかない。厳密にはエキストラとして何本かに出ていたと聞く。無名役者だった金子正次は自分で書いた脚本を映画会社に売り込むがまったく相手にされず。当時、既にスター街道まっしぐらの「松田優作」が主演だったら撮っても良いと言う映画会社はあったという。「とにかく俺は、この映画であいつと勝負する気でいるからさ」。あいつとは、松田優作の事だ。皮肉にも金子正次と松田優作は同い年の親友だった。このときの金子正次の心情は察するに余りある。どれだけ脚本が良くても無名の俳優を主人公にした映画に投資してくれるほど世間は甘くない。そこで自ら金を工面する自主制作という手段に出る。このときに陰ながら尽力したのが松田優作だったのだ。しかし、金子正次はその事をどこまで知っていたのか定かではない。(「越境者 松田優作」著:松田美智子)によると、当時、金子正次と松田優作は絶交状態にあったと言う。そして、何とか東映セントラルでの上映にこぎつけた1983年10月29日、映画「竜二」が封切りされた。

その日、金子正次は倒れた。映画が完成し、ふっと一息ついたときに、身体が音を上げたのかもしれない。このとき既に胃癌に蝕まれており、癌性腹膜炎を併発しての入院だった。そして7日後の11月6日に亡くなった。病院では必死に心臓マッサージを続ける医者に「もういいだろ!金子を逝かせてやってくれ」と涙を流したのが親友の松田優作だったという。奇しくも6年後の同じ日「11月6日」に、松田優作も癌で亡くなることになる。

 映画に登場する肉屋はもう無いが、隣の「コインランドリー太陽」は当時の姿を残している。

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「コインランドリー太陽」は、私が大好きなドラマ「探偵物語」の第5話「夜汽車で来たあいつ」に登場する。福井県から音信不通の妹を探しにやって来た水谷豊扮する田村が、偶然、松田優作扮する探偵の工藤俊作と出会った場所がこの「コインランドリー太陽」というエピソード。40年近く健在しているのが凄い。「竜二」と「探偵物語」。共に同時期に製作された映画とドラマ。金子正次と松田優作には何か因縁を感じずにはいられない。

西新宿から続く長い商店街。不動通り商店街の最後にある坂を下だる。振り返ると夕日に照らされて遠くに輝く新宿の高層ビル群が見える。
あのとき、金子正次と松田優作が触れた景色を感じとれる。

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(posted on 2018/1/17)

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