ディープな街~「神田肉うどん=恋音Lennon」~
撮影が無いときは神田にある編集室でフォトショップをいじっている。画像処理で煮詰まってくると、目と頭をクールダウンさせる為に近所を散歩してリフレッシュする。今回ご紹介する所は既に“東京路地裏歩き系”の先輩諸氏が様々なサイトで紹介しているので今更紹介するのもどうかと思ったのだが、近所なのでカメラを持って歩いてみた。
ディープな街「神田」は東西南北へと懐が深く、裏通りへ入ると懐かしい昭和の風景、江戸の名残、面影がある。そして、江戸八百八町の中で最も古い下町と言われている。
神田=神田古書店街をイメージされるが、主に神田神保町にある古書店などが密集しているエリアを古書店街と言う。JR神田駅からは約1km離れている。古書店から漂う独特のかおりが、2001年には環境省選定のかおり風景100選にも選ばれているらしい。ちなみに私の事務所がある神田駅南口近辺のガード下は昼間からお酒の香りが漂っている。
神田駅南口を出て大きな通りを大手町方面へ歩いて行くと、竜閑橋という三叉路の交差点が見えてくる。その交差点を左へ行くと小さな公園の様な所に草花の茂みがあり、昼間はサラリーマンのオアシス(喫煙所)となっている。そこには四方を柵に囲まれたコンクリートの塊が横たわっており、親柱には「龍閑橋」と書かれている。これが竜閑橋交差点の由来となっている橋桁なのだ。
かつて、江戸時代には日本橋川と神田川の間に造られた堀が龍閑川と呼ばれていたが、現在は埋め立てられておりその面影は全くない。「龍閑橋」は大正15年に日本で最初の鉄筋コンクリートトラス橋として改架され、戦後のお堀の埋め立てにより、昭和25年に撤去されて親柱と桁の一部が現在の場所に保存されている。
日本で最初に鉄筋コンクリートトラスとして作られたという「龍閑橋」
左を向くと目の前に細く続く路地が現れる。ここはかつて龍閑川が流れていた場所であり、JRのガード下を越えて真っ直ぐ続いている。また、中央区と千代田区の区境になっており『今川小路』と呼ばれていて、車がやっと一台通れるような細い道。昼間はひっそりと静まり返っている。「白幡橋高架橋」という名のガード下には、居酒屋が数件並んでいる。戦後のドサクサの中で建てられたと思われる建物のほとんどが住居兼店舗。頭上には山手線や中央線が走っている。電車に乗っている人は、まさか線路の下にこんな世界が広がっているとは誰も思わないだろう。ちなみに『今川小路』の居酒屋にはまだ入った事がない。いつも常連客で埋まっている。いや、実際には外から中の様子は見えないのだが、すりガラス越しにぼんやりと見えるシルエットはいつも満員。カラオケの音が中から響いている。勇気を出して暖簾をくぐった瞬間に「一見さんお断り!」と、ビシッ!とぶった切られそうな雰囲気を醸し出している。しかし、実際には人が良さそうなママが温かく出迎えてくれる。とは、知人の常連客のお話。
今川小路から続く細い路地は、ここにはかつて龍閑川が流れていた
戦後の闇市時代から生き続けている「今川小路」。昼間はひっそりと静まり返っている
また、『今川小路』は2013年に大ブームを巻き起こしたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』にも登場している。アキが足繁く通うお鮨屋さん「無頼鮨」がある裏路地という設定。ちなみに「無頼鮨」の内装セットは、私がたまにお邪魔する文京区根津に実在する江戸前のお鮨屋さんをイメージしている。
映画のセットの様なディテール
配管などの老朽化も激しい
さて『今川小路』を中央通りに向って歩くと、まだまだ細い路地が続く。途中「日銀通り」を渡ると空気が変る。そう、あの日銀なのだ。右へ曲がると「日本銀行本店」が目と鼻の先に見えてくる。思わずこんな所に在っても良いの?と思うほどの距離。大抵の人はこのギャップに驚きを隠せない。さらに歩くと遠くに昭和通りが見えてくる。中央通りまで出ると、角には「今川橋跡」という碑がある。一説によれば、ここが「今川焼き」のルーツらしい。江戸時代に今川橋の近くの露天で売り出したことから「今川焼き」の名前が付いたと言われている。しかし、当時から代々続く店も無く、きちんとした記録も無い。現在、元祖をうたう店も無い。近いうちにカメラマンを廃業したら「今川焼き」屋さんを開業しようかと日夜構想を練っている。
先に書いたとおり、中央区と千代田区の区界を流れていた龍閑川は、現在は埋め立てられている。この中央区と千代田区の区境を通る細い道は様々な飲食店が連なっている。
最近は夜になるとサラリーマンに混じって外国人のバックパッカーも増えており、そんな路地裏の一角にひっそりとショットバーが佇んでいる。周りの店が煌々と輝く看板を構える中、1軒だけ木目の露出した木の看板に飾り気なく「恋音」とだけ書かれている。漢字には小さく「Lennon」とルビがふってある。昼間は「神田肉うどん」という名で営業しており、夜になるとショットバーに変身。
布を張った重い扉を開けると薄暗い店内の壁にはギターが2本ディスプレイされている。ある種の威圧感。飾りじゃないんだよ!と言わんばかりのリッケンバッカー。そしてギブソンのアコースティックギターが独特のオーラを放っている。この狭い空間が妙に落ち着くのだ。
程よく酔いがまわってきたところで突き当たり左にあるトイレのドアノブを捻ると、そこには別世界が広がっていた。ピーター・マックスとアンディ・ウォーホルを足して二で割った様なレトロポップなディスプレイ。心地良い雰囲気。好きなミュージシャンの写真が所狭しにコラージュされていて、マスターがどんな人間なのか伝わってくる。
整理、整頓、掃除、清潔、躾をまとめて「5S」と呼ばれる日本企業独自の考え方がある。そのベースにあるのは「掃除をすると会社の業績がよくなる」という考え方。清掃して身の周りが整えば、仕事の効率がよくなり、生産性がアップする。これは多くの人が想像しやすい効用だ。その上を行くのが個人経営の飲食店のトイレではないのかと思う。整理、整頓、掃除、清潔、躾は当たり前 。+αとして「店主の夢」が入ってくる。ほろ酔い気分でそんなことを考えていた。薄暗いカウンターへ戻ると、マスターが抱えたギブソンのギターからは、静かに「Yesterday」のイントロが流れてきた。
トイレの中は好きなミュージシャンのポスターや写真が所狭しにコラージュされている
盛り上がってくると自ら歌いだすマスターの渡部氏
お店の名前はビートルズの John Lennon からですか?
そうだね。ウチは昼間「神田肉うどん」として営業しているから、最初は昼営業と同じ名前でバーを営業していたんだよ。でも僕が趣味でビートルズのバンドをやっているので、お客さんが夜の名前をつけてくれたの。外にある看板はそのお客さんが知らないうちに作ってきてくれて、これを店の前に出しとけって(笑)。それまではただの音楽が聴けるバーだったんだよ。だけどもう看板も「恋音Lennon」にしちゃったし。自分の好きなものをどんどん飾っていこうと思って。それでトイレもこんな感じにビートルズとか好きなアーティストや女優のポスターを飾るようにしたんだ。
看板メニューの「神田肉うどん」 生姜と唐辛子を沢山入れると美味しさ倍増
ビートルズに興味を持ったのは?
ビートルズを好きになったきっかけは、中学生の頃に叔父さんに買ってもらったラジカセでビートルズの曲を聴いてからだね。僕らの小さい頃は今ほど著作権に対してメディアがうるさくなかったからね。TVの幼児向け番組で「ポンキッキ」っていうのがあったんだけど。そこで流れるショートムービーの中でビートルズの曲のフレーズが使われていてさ、中学生になってからラジオでそれらが1つの楽曲として流れてきた時は、こんなにかっこいい曲だったのかって感動したよ。それで彼らに憧れてバンドを始めたんだよね。高校の文化祭では「yesterday」を演奏したんだけど、その頃九州の田舎でビートルズを聴く人なんていなかったから全然理解してもらえなかったね(苦笑)。それで高校を卒業してすぐに音楽の夢を追って東京に出てきたけど。20歳で結婚して家庭を持ってからはそれどころじゃなくなってさ。だから今では仕事の合間に趣味のバンドでビートルズを演奏しているんだ。そうは言ってもお店ではビートルズしか流さないわけじゃなくて、僕の好きな音楽を気分で流しているけどね。最近はお客さんからのリクエストも多くて。70年代のダンスミュージックから演歌の大御所までなんでもOK。昨日なんか「聖子ちゃんナイト!」だったよ(笑)。
2016.9.10 東日本大震災復興支援ライブにエントリーしたバンド「NEMS」 渡部氏はボーカルを担当
店内にはビートルズに関連したものはあまり見られないですね?
確かにね。これは色々と理由があるけど、1つはお昼はうどん屋として営業しているから、あまりビートルズが大好きって感じにしたらうるさいかと思って。だから店内にはギターをかける程度にして。あと、夜はバーを営業している事を伝えるために、ボトルを前に出すだけにしているの。そうすると、夜のお客さんは看板を見て入ってきて、あれ?全然ビートルズじゃないよ!となるから、トイレにはこれでもかってくらいポスターとか写真を貼ってビートルズ好きをアピールしているのよ。
2つ目の理由は僕自身がシャイな性格だから、あまり好きなモノとか趣味を目立つように公開するのが嫌なんだよね。例えば彼女とかに「愛してる」とか言えないわけ(笑)。ずっと一緒にいるのに嫌いな訳がないじゃない?わざわざ公言しなくてもわかって欲しいんだよ。嫌いなら一緒にいないって!だからお店もわかりやすくビートルズ大好きっていう風には飾りつけたくないの。それでお客さんはビートルズの話はできないのかな?となるんだけど。トイレに入ってポスターのコラージュを見て、やっぱり好きなんじゃないか!(笑)って。そしたら席に戻ってきてビートルズ好きなんですか?て会話が始まる訳。だからトイレはそういう意味ではこの店の基盤になっているんだよね。これからもっと僕の好きなモノを増やしていきたいと思っているんだよ。
世界には星の数程オーナーの夢が詰まった飲食店がある。マスターの渡部さん曰く「恋音はお客さんと一緒になって音楽を楽しむ場所」と自身の店を表現している。
皆さんも神田に来たら路地裏を散策してみたらいかがでしょうか。
メディアには取り上げられない様なディープな世界が広がっています。
神田肉うどん http://www.compy-town.jp/store_detail.php?scd=0000023029
取材協力:實川遼大氏
(posted on 2016/12/6)