発行 株式会社ダイヤモンド・ビッグ社 |
北京に惚れた
「日本建築の原点を求めて」中国の土を初めて踏んだのは、一九七七年八月です。その前年には、毛沢東路線を継承していた江青夫人ら四人組がクーデターに失敗し、旅行中に文化大革命終結が中国共産党全国代表大会で宣言されました。このように文革の熱が完全には冷え切っていない時期でしたから中国ではまだ自由な旅行はできず、「日中建築技術交流会訪中団」の一員として招待という名の自費による旅でした。しかし北京、旅大、瀋陽、南京、揚州、蘇州、上海と十五日間の旅を続け、不充分ながら中国大陸古建築の一端に触れることはできました。 夏の暑い日、「中国酔い」の状態で続いたこの旅で、清朝が北京に都を移すまで満州族王朝のあった瀋陽の故宮、レンガ造りで一本の梁も使っていない南京の無梁殿、鑑真和上ゆかりの奈良唐招提寺金堂を模して建てられた揚州の法浄寺の新法堂、名園中の名園蘇州の留園の楼・閣・回廊など印象深い数々の古建築を垣間見ましたが、中でも心に強く残ったのは北京の古建築です。 北京の第一夜は、東長安街と王府井大街の交わる角に建っている「北京飯店」に泊まりました。日本でいえばさしずめ帝国ホテルといったところです。一九〇〇年創業という歴史と伝統を誇る地味なレンガ造りのホテルは、ロビーに飛竜を彫刻した円柱が並ぶ壮観なもので、部屋は七一二号室。翌朝早くに目をさまし窓を開けると、朝焼けに照らされた紫禁城が目に飛び込んできました。長く続く黄金色の屋根瓦は、まるで龍が寝そべっているような姿です。このときから私の「北京惚れ」が今日まで三十年の長きにわたって続いているといっていいでしょう。 千年前には燕京と呼ばれた古都北京の古建築の数々は、国都だけにたびたびの戦災にあいながら、そのたびに手厚い看護介護を受け力強くよみがえってきました、その様からは、いかに為政者がそれらを大事に思い、いかに人々がそれらを愛し慈しみ大切にしてきたかということを実感することができます。 中国の旅は、玄関である北京から始めてみてください。私も最初の旅から三十年の間に、十回の中国旅行をしましたが、そのうち九回は北京からの入国です。当然北京に何日か滞在し古建築の写真を撮り続けてきました。この「北京に惚れた」私の気持ちを、旅の先導役やお供にして頂ければ幸いです。また北京に行くことのかなわない方は、この本を手元に、あなたの思いを北京の地へ誘ってください。 北京へ行く方も、これから行こうと思っている方も、北京は今日からあなたの恋人です。
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