神奈川県 JR東日本 横須賀線 横須賀駅
昭和20年、フィリピンのダバオで終戦を迎えた祖父の部隊は、武装解除後に連合軍の捕虜となり船に乗せられた。シベリアに送られる…船上ではそんな噂が流れていた。航路は香港から台湾を経由したところまでは分かっていたが、その後はどこを航海しているのか全く分からない。ある晩甲板に出て一人で星空を眺めていたら、月夜に照らされて遠くに山並みが見えてきたという。嗚呼、ついにウラジオストクに到着か。
次第に夜が明けてくると山並みが近くなってきた。ソ連にも富士山に似た山があるのかと見つめていると、誰かが「富士山だ!」と叫んだ。目を疑ったという。先ほどまでウラジオストクの金角湾だと思っていたのは相模湾だったのだ。船はその後城ケ島を左手に望みながら東京湾に進入。無事、横須賀軍港へ帰還。そして我が祖国、日本へ帰って来た。
港で進駐軍から貰ったチョコレートやキャンディを飯盒(はんごう)へ詰め込むと、横須賀駅から乗車して東海道線、身延線を乗り継ぐ。年の瀬も押し迫る12月の深夜、積る雪を踏みしめながら山梨県身延町の田舎へ戻って来た。一番驚いたのは祖母(当時23才)だったという。その夜、既に就寝していた祖母はザッザッ!と遠くからこちらへ向かって来る足音で目が覚めたという。その音は段々と近づいて来て家の前で消えた。ガラガラと引き戸が開く音がしたので玄関へ出ると、そこにはボロボロの軍服を着た祖父が微笑んで立っていた。信じられなかったという。フィリピンで戦死したものだと思い込んでいた祖父が目の前に現れたのだから。
祖父が92歳で鬼籍に入るまで、幾度となく聞かされた話。祖父側からと祖母側からの話を繋げると、まるで映画のワンシーンのような情景が目に浮かぶ。
あの頃とほとんど変わらないという横須賀駅舎を撮りながら祖父を偲ぶ。
(posted on 2025/6/17)