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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

福島県 会津鉄道 会津線 湯野上温泉駅

福島県 会津鉄道 会津線 湯野上温泉駅

南会津に数件の鄙びた温泉宿の玄関口としてこの駅は存在する。
駅の東には旧会津西街道の往還が走る。

動乱の幕末期、幕命をおび朝廷と京の治安維持のため会津藩が南進し、10年後には京の朝廷から朝敵の汚名を記せられ傷心のまま自領の会津若松まで北帰した古道が西会津街道である。近くには宿場の大内宿が現存する。
時の藩主は松平容保。
彼は藩祖保科正之の家訓15条が血となり人格が形成されたといっても過言ではない。それ故若松城での籠城戦、落城へと進まざるを得なかったのもこれも過言ではない。
多くの藩士、領民が犠牲を強いられその後の会津藩の行く末を知る身としては名君とは言いがたい。
とは言いつつ容保に肩入れをしてしまう。
彼自身は明治の中期まで存命するが、廃藩後の彼は京守護職時に拝領した孝明天皇直筆の宸翰がその後の生への指針にもなった。これも過言ではない。
亡くなるまで宸翰を肌身離さず、側近でさえもその存在すら認識していなかった。

青年期の彼の甲冑姿の写真を見るとかなりの美貌、武者面に惚れ惚れする。御所での馬揃え時には多くの京雀が彼の武者姿に驚喜した。これも過言ではないだろう。
そんな悲運の藩主松平容保、それに殉じた会津藩、そんな悲哀の歴史を当地で物思いにふけり、否定できない容保の生き様に思いをはせ、駅構内に併設されている足湯に浸り、のたり気分で会津の歴史書に目をむけるのも良いものだ。

駅舎の撮影だけではつまらない。これも過言ではない。

(posted on 2024/10/29)

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