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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

創立50周年企画展
50th anniversary exhibition

コラム

Column

Old School Japan ⑪ 鉄職人が創るフライパン

工場の匂いが好きだ。油の匂い。重機の匂い。そして鉄の匂い。
それらが合わさって独特な空気を醸し出す。
また、雑然と置かれているように見える工具も、そこにあるのは必然なのだ。

これから話す事は、友人の鉄職人が、鉄で「フライパン」を創り出すまでの奏功になる。

扉の無い風呂場。コンクリートの冷たい床。半分壊れた窓からは容赦なく冷たい風が吹き込んでくる。水圧の低いシャワーを浴びながら、今日で最後だと嬉しさを噛み締める。やっと引っ越し出来る。

あれから6年の月日が流れた。

鍛治屋をやってみないか。ある日先輩から誘いがあった。鍛治屋って何をするのだろうか、訳も分からないまま工場がある愛知県名古屋市へ向かった。住むところも用意してくれると言う。

何よりも今を変える必要があったのだ。

案内された部屋を見て腰を抜かした。ここで生活するのか。
カビ臭く、防音材、断熱材など入っていない4畳半。工場の3階、部屋の下には作業場があり、天井にはクレーンがぶら下がっている。それが稼働するたびに部屋が地震のように揺れた。工場には休日でも人が来るから休む事もできず、週末には車中泊する事も。部屋にはネズミは出るし、便所…いや厠は工場1階の一番奥。

給料も直ぐに上がる、イイ部屋を用意すると言ったのに。嘘つきな先輩だった。

もう後戻りは出来ない。

ここで3年間耐えた。4年目にやっと引越しが出来た。
そして人間に戻れた。

在職期間は6年間。日当8000円が3年、4年目にやっと1万円に上がった。

それでも休む事なく馬車馬のように働いてお金を貯めて、石川県へ戻って独立する。

当初は後輩が使っていた工場の一部を借り、彼の仕事を手伝いながら自分の仕事を続けることになる。

やっと軌道に乗りかけた時にコロナが蔓延。
建築関係の仕事が全て吹っ飛んだ。どん底に落ちた。
なんとか浮上しようと模索しているときに、昔から作っていたフライパンが脳裏をよぎる。

新たな風が吹いた。

刻は過ぎて2025年11月。

私は石川県小松市に在る工場で鉄を叩く酢馬氏を眺めていた。

鉄に火を入れる。そして叩く。とにかく叩く。
また火を入れる。そしてまた叩く。だんだんとフライパンの形になって行く。
真っ平の鉄板からフライパンの形にするのは至難の業。
幾つかあるハンマーを使い分けて叩き続ける。よく見ると木槌を多用している。
木槌でないと駄目だと言う。
また、鉄は叩く回数にも上限がある事もはじめて知った。

何回以上叩いたら駄目なのか。問うてみる。

酢馬氏いわく「状況によるものなので、具体的に何回叩いたらアウトという事ではなくて、
何回熱を加えたか。何回叩いたか。どれくらいの強さで叩いたか。状況によって見極める必要があるのです。」

要は経験値で身体が覚えているらしい。

酢馬氏の作るフライパンはとても薄いのが特徴だ。鉄の強さとこの薄さによって、普通のフライパンよりも頑丈で、しかも短時間で熱が入り、少ない火力で料理ができるのだ。

煙草を燻らせながら酢馬氏は言う。

鉄は育てるものじゃなくて、暮らしに溶け込む道具だと思っています。
火と向き合って、一つずつ作る鉄フライパン。
このフライパンには、こだわりと愛情しか詰まっていません。
調理が上手くなる。料理が美味くなる。
鉄職人が生み出す魔法のフライパン。是非一度手に取ってみてください。

世田谷の尊師から嬉しいメッセージが届いた。
きっと尊師も気に入ってくれたのだと思う。

取材協力:IRON WORKS KORU 【アイアンワークス コル】
石川県小松市の鉄職人 酢馬 慶太 
https://iron-works-koru.com/

(posted on 2025/11/10)

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