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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

設立25周年企画展
25th anniversary exhibition

コラム

Column

NOSTALGIC JAPAN㊲ 真言宗醍醐派 三守皇山 大聖寺 その壱

戦国武将「武田信玄」も祈願寺に定めていたお寺

はじめに申しておくと、私の宗派は真言宗。守り本尊は不動明王である。

大聖寺(だいしょうじ)は甲斐の国(山梨県)に在り富士川を正面に望む900年の歴史を刻む真言宗醍醐派に属するお寺。一応私も檀家なのだが、ろくに檀家らしい事もせず、毎度住職には頭が上がらない。


大聖寺は戦国武将「武田信玄」も祈願寺に定めていたと言う伝えがある

写真中央左に咲いているのが武田信玄公手植えされたと伝わる紅梅

「訓しの柿」の言い伝え

武田信玄が大聖寺に参詣した折、この柿の実を差し上げたところその美味を誉めたので、住職が「それならば渋柿のなる枝を切って全て甘柿にしてしまいましょう」と申し上げたと言う。しかし、武田信玄は「渋柿を切って甘柿を継ぐのは小者のする事である。一国を支配するような大物は、渋柿は渋柿なりの使い道を生かすものである。また、渋柿の用途が広いからといって、わざわざ継いである甘柿を切るような愚かな事もしない。人間の取り扱いも同じ事で、人に応じた用い方を考えるのが大物である」と返したと言う。(「甲陽軍艦」による)
「甲陽軍艦」には武田信玄の考え方を示す多くの名言があるが、この話は武田信玄の人材登用の考え方を示す発言としてビジネスの世界でも注目されている。

 


甲斐百霊場 第百番札所 甲斐国八十八箇所霊場の内 第三十五札所

中央に見えるのが毛無山。その向こうに富士山が聳えるのだが残念な事にここからは望めない。

900年の歴史を刻む階段。一面に生えた苔が歴史を物語る。

その弐へ続く。

(posted on 2022/8/21)

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