NO PHOTO NO LIFE ㉙ ~肌色の美しさに魅せられて~
僕には僕の或る考えがあって建築写真の事をコラムであまり語らない。
というよりは、建築写真以外の事を書く事でこの日本建築写真家協会の存在を建築写真に関わる専門職以外のより多くの皆さんに知って頂きたいという想いがあっての事だ。
僕は建築写真以外に人も撮る。
僕は人を撮る際に極度に拘る事がある。
それは、「人の肌は、肌色で撮る!」という事だ。
太陽光の中であっても、ケルビンの高い環光の中であっても、ケルビンの低い環境光の中であっても、夜の色を演出するためにカメラの色温度を下げても、背景の世界の色彩を歪める為に光の仕掛けをしたとしても、、、
任意で光の色付けを行う作品以外は、兎に角人の肌は必ず「その人の肌色」で撮るという拘りがある。
自然光での撮影
窓からの陽光が超大型のソフトボックスの役割を果たし、ベッドのシーツが白レフの役割を果たしている。
それは人の、人々の、人類の持つ、肌の美しさというものを写真を通じて心底魅了されたからだと思う。
肌色と一言でいっても、十人十色どころか千差万別だ。
透き通るような白に近い肌色もあれば、UVAによってつくられた小麦色の肌色も、また仄かに赤みの混じった桃色の肌色もある。
世界をみれば白人も黒人もそして僕たち黄色人も、みな其々に美しい肌を身に纏っている。
その其々が持つ肌色の美しさの再現はポートレートというカテゴリーの写真を支える上において必要不可欠な要素だと思っている。
よく女性が「キメの細かい肌」という言葉を口にするが、僕はこの「キメ」をとても大切にしている。
「皮溝」と「皮丘」からなる「皮紋」が所謂「肌のキメ」なわけだが、
この肌のキメも、世界に二人といないその人だけに与えられた肌の文様なのだろうと思う。
それは性別によっても、年齢によっても、生活環境によっても人それぞれ違うであろうし、同じ人であっても絶え間なく変化をし続けている「その人の今」を伝える大切な符号なのだろうと思う。
そう考えれば、顔同様にパーソナルとオリジナルを主張する上で僕にとっては最重要な表現箇所になる。
ビューティーディッシュ(with グリッド&ディフューザー)にて撮影
歳も50歳に近いづいてきた近頃、
女性に対して感じるセックスアピールも若い時のそれとは変わりつつある。
10代の女性も50代をこえる女性も撮影する中で、
例え目尻のしわが隠せない歳だとしても、「その肌とそのキメ」にとても馴染じんだメイクなどをしているモデルさんを見るとグッときたりする(笑)
ファンデの乗り具合、アイシャドウやチーク入れ具合、
それは、その人そのヒトの「素肌」という素地があって初めて生きるものだと思う。
肌色を大切に撮りたい。
それは僕ら人類全体に平等に与えられた、この上ない美しいものなのだから。
Model
山陰地方を中心に活躍する親交あるモデルMOKO
今秋2年ぶりに撮影でのセッションを控える。
(posted on 2022/7/20)
Writer: 西田慎太郎