建築写真よ、ありがとう
今だから言えるのですが、写真家人生の最後を建築撮影で暮らしているとは、若い時分には全く想像していませんでした。
写真を生業にしたいと思ったのは、高校時代に写真部に入りその魅力に触れてからなのですが、その時代は写真家が脚光を浴びるようになった黎明期と思います。私が撮りたいと思った写真も広告や雑誌の範疇でその中で自分もやっていけるように思い込んでいました。
現実は、大学は出たものの就職先などない時代。スポーツ新聞の撮影アルバイトから始まり、編集プロダクションで学習雑誌の記事の撮影、営業写真館で学校写真の撮影、どこかまともな就職先を見つけようとしていた時偶然出会ったのが建築写真の会社でした。
その時すでに27歳、初めてのまともな就職で一応5年近くを過ごし、これ以上いると歯車から脱出が困難思った時点で退社しましたが、当時の主な仕事は各種建材メーカーの撮影で、広告に近い仕事を願っていた自分にはありがたい内容でした。おかげで日本中撮影に赴き今でも懐かしく思います。
退社した後も暫くは建材メーカーの撮影中心でやってこれましたが、間もなくバブルが崩壊し、みるみるうちに取引先は少なくなりました。当時の取引先のスローガンには「明けない夜はない」とありましたが、私には明けることがありませんでした。
印刷会社の撮影などで食いつなぐも見通しの立たない中、あるのは4×5のカメラだけ。会社を辞めて10年、一区切りついたな。
ここで漸く建築写真と正面から向か合う日が始まりました。そして生活のため現場事務所を回り、クレーンを見たらこんにちは、のはじまりです。
あれから20年、いつの間にか建築写真が私を救ってくれていました。この間にも波が打ち寄せることしばしばですが、これが最後の砦ですから。
(posted on 2016/2/18)
Writer: 渡辺重任