日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

エッセイ
essey

追憶の街 ヨコハマ 安川千秋

トンネルを抜けると、そこはアメリカだった・・。
今から50年以上前の話です。トンネルは山手の下を通る通称「麦田のトンネル」。ちょうど関内から元町を通り、本牧へと抜ける道にあります。当時そのトンネルを抜けると風景が一変したのです。英語の看板の商店や食堂、バーが並び、奥には怪しげなネオンのホテルが見え隠れしていました。そして、その商店街を過ぎると緑の芝生が広がりブルーやイエローのハウスがフェンスの向こうに見えてきます。エリア・ワンと呼ばれた米軍キャンプ地です。それを市電(路面電車が走っていた)の車窓から食い入るように見る子供が私でした。年に何度か家族や近所の子供たちで三渓園へ遠足に行く途中の光景です。

その時の記憶や既視感が、私の写真表現を決定づけ、未だにそこから抜けきれず、全国の米軍基地の街を撮り歩いたり、無国籍的な港湾施設や風景を追い求めています。そんなヨコハマの風景も当然変化していきます。80年代の中頃、本牧の米軍キャンプは返還され、商業施設やマンションに変わってしまいました。最後に残っていた根岸の米軍ハウス群も今は無人のキャンプと化し、取り壊しを待つばかりです。こうして、ヨコハマの記憶の風景が時代とともに消えてゆくのですが、少しでも記録に残そうと写真を撮り続けています。

JR東神奈川駅から海側に歩いてみましょう。国道を渡り、倉庫街や引き込み線を越え埠頭の先端、瑞穂橋の橋詰へ、、。そこに1軒のバーが世の中から取り残されたように建っています。「スターダスト」、最後に残ったアメリカの残影かもしれません。西の空がブランディー色に染まるころ、店の前から夕暮れの港を眺める、、、と、追憶のヨコハマがよみがえってきます。

※沖縄の現状を見ても基地問題は重く複雑です。あんなものいっそない方がよいとも思えます。反面、基地の風景やそこから発せられる文化にどっぷり浸かった自分がいます。常に矛盾を持っているのも事実です。

(posted on 2017/5/9)

back to top of this page
TOP