日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

アラ還トルコ深化中 大野繁

なぜ今トルコか。二十代後半の頃心酔していた作家の作品の一つにカッパドキアの紀行文があり、日本では今程知られておらず、奇岩怪石に穿たれた洞窟住居に今も人々が住み暮らしているとの記述に妙に心惹かれ、何時か訪れる時が来ると、根拠の無い確信を抱いたのが、私とトルコとの始まりである。

三十、四十と静かに時は満ちて五十代半ばを過ぎた頃、再びトルコがめぐってきたのである。とあるトルコツアーに参加する事になり、カッパドキアを駆け足でめぐり、若き日に抱いた小さな火が消えずに残っており心の扉を開けた瞬間、バックドラフトの様に思いが再燃してきたのである。雪化粧したカッパドキアが撮りたいと、冬のアナトリアに通い始めたのである。最初の年は暖冬で雪が全く無く、二度目は雪が多すぎ車で遭難しかけ、三年目でようやく思い描いた通りの雪に出会う事が出来たのである。観光スッポット以外の所に撮り所が多く何度行っても新たな発見がある。

そうは言っても広い国なので、通い出すとあっちもこっちもと欲が出て、アルメニア国境にあるアニ遺跡にもレンズを向けた。古代アルメニア王国の首都でありアルメニア正教の総本山であった教会をはじめ、周囲数キロの城塞都市の中に千の風ならぬ千の教会があったと言われ、石積の教会の遺跡が荒涼とした台地の上に点在している様は、私では捉えきれないもどかしさを痛感したものである。8×10を携えてリベンジしたいところである。

視界に他人の姿は無く、聞こえるのは自分の足音と風の音。小さな流れを挟んだ向こうには他国の監視塔が建ち、このような所を地の果てと言うのかと、しばし悦に入ったものである。ある時は南に下りユーフラテス川に架かっていた古代橋や、今やコンディションレッド状態のディアルバクルやマルディン周辺の街などにも足を延ばした。車で走り回るのだが、広い国の地方都市のさらに郊外を一人で走るのは、存外楽しい物ではあるが、ふと我に返る瞬間、何をしているのだ!、と思わなくもないものである。

そんな中、今集中的に撮っているのがイスタンブルである。トルコに行くまでは関心の薄かったイスタンブルであるが、初めて訪れた時、デジャブとも違うある種の既視感の様な物を感じたのである。その正体は、イスタンブル生まれのノーベル賞作家の「イスタンブール」にその入り口を見つけたのである。その本に出会ったおかげで、トルコ人写真家アラ・ギュレルも知ることが出来た。トルコ版木村伊兵衛かと、勝手に解釈しているのであるが、まだ存命のはずで、写真集「ロスト・イスタンブル」は禁断の奥の手である。アッジェのパリの様でもあり、撮りたくてももう撮れない写真が多々あり、真似したくても真似できないのである。

私が通い出して僅かな年月だがそれでも行く度に旧市街は姿を変えているのである。ある人にとっては進歩・発展なのかもしれないが。古き良きイスタンブルに憧憬を抱いている方はお早目のご訪問をお勧め致します。時節柄敬遠されがちですが、そこには多くの人々の暮らしが、喜怒哀楽が、遺伝子遊戯の素晴らしい傑作が溢れています、さまざまな様式の建築と共に。個々の事例に関しては項を改めまして、また何時か
セラムーンアレイクム

(posted on 2016/9/13)

大野繁

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