日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

町並み探訪vol.11 (岐阜県可児市・その3) 林政司

今回は可児市内を西に移動して、可児市土田(どた)。
名古屋鉄道(名鉄)広見線では、中心駅の新可児駅から2区間犬山方面へ乗車、可児川駅(かにがわ)で降りる。現在の駅付近に商店は少ないが、名古屋・岐阜方面への通勤客の他、可児市を代表する工場と病院の乗降駅としても利用されている。
名鉄広見線は大正14年(1925)4月24日犬山口-今渡間が名古屋鉄道今渡線として開業。その後、昭和4年(1929)1月22日に新広見(現在の新可児)まで延伸された。


「名鉄可児川駅」 昭和44年(1969)3月「ライン遊園駅」から改称、現在は無人駅

昭和3年(1928)4月からは、この駅から土田大脇地内のライン下り(可児市から犬山市への木曽川を下る観光船)の乗客用に、北陽館(現在の湯の華アイランド)付近まで、当時としては珍しい乗合バス(路線バス)が運行していた。(乗船場は約800m西・現在は立入禁止)その後、太平洋戦争による荒廃等により、ライン下りの乗船場は北陽館付近への移転を経て、可児市今渡及び対岸の美濃加茂市に移転した。(現在ライン下りは廃止されている)

可児川駅から西へ約1km、尾張街道(愛知県に通じる街道筋の旧呼称)に架かる「刎橋(はねはし)」で可児川を渡る。ここは断崖で橋面から水面まで約30m程もあり、橋脚を建てる事が出来なかった。そこで、両岸から木材を刎ね出して橋を支えるような形式で架けられたという事が、名前の由来のようだ。現在の橋は昭和14年(1939)に架けられたコンクリート橋である。

そして、土田城址登山口に到着。とても急峻で、登山道というより、山登りである。途中鎖が引いてあるところもあり、これを支えに登っていく。先人たちはどの様な想いでここに城を造ったのだろう。
土田城は、文明年間(1469~1487)頃に土田氏によって築かれたと伝えられる。木曽川とその支流の可児川、東は急峻な崖、南は山並みと川により、天然の要害となっている。また、当地が織田信長の生母、土田御前(どたごぜん)の生誕地と言われている。


「刎橋」 平成22年(2010)7月洪水時は橋面を越水、対策として崖の上部が削られた


「城山から東側の眺め」 可児市内(盆地)から、遠くには御嶽山などの山々も見える


「城山から南を眺める」 左側は国道41号 その先は愛知県犬山市に繋がる

その後、生駒氏が入城し、永禄13年(1570)土田城近くの大脇地内にあった白鬚神社を現在地に移したとされる。
白鬚神社では、毎年春に流鏑馬祭(やぶさめまつり)が行われ、近隣から多くの見物人が訪れる春の可児市の風物詩の一つとなっている。本乗りと呼ばれる騎手が、長い参道を駆け、弓で的を射る行事として、可児市 重要無形民俗文化財 に指定されている。祭礼の創始は生駒氏など、いくつかの伝承があるが、とても長きにわたり執り行われているものである。
祭は、流鏑馬の馬を出す「馬当元」が東座と西座の二座。雅楽の楽隊を編成する「楽当元」が一座。これを毎年土田の地区内で決め、輪番制で行っている。
そして、馬場見せ、本乗りの各騎手は、古くから馬当元内から選ばれる若者とされていて、名誉の役である。平成30年の西座 本乗りには、有史初の女性騎手が騎乗し、話題を集めた。(NHK名古屋制作で、騎手のドキュメントを放送)


「平成30年 西座の本乗り」 古式に則ったきらびやかな衣装で参道を疾走する


「平成31年 西座の本乗り」 拝殿での神事が終了後、花形の流鏑馬は開始される


「夕暮れの名鉄広見線」 遠くに見えるのは土田城の西側、愛知県との境にある鳩吹山

取材協力: 可児市 曽我 勝彦様
参考文献: 可児市史(通史編)・ 可児町史(通史編)

一部の作品は、
ニコンプラザ名古屋「フォトスクエア」 にて平成30年(2018)11月に開催
林政司写真展 歴史絵巻の狭間で ~白鬚神社流鏑馬祭~
より再編集の上、使用しました

(posted on 2020/3/2)

林政司

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