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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

町並み探訪vol.6 (岐阜県美濃加茂市・その1) 

今回からは岐阜県美濃加茂市である。
江戸時代に中山道の宿場町として栄え、すぐ南には木曽川が東西に流れている。
ここが「木曾のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれた中山道の三大難所の一つ「太田の渡し」である。
その後、昭和2年(1927)には、ほぼ同じ場所に「太田橋」が開通(竣工は大正15年・1926)、太田の渡しは廃止された。この橋は開通から90年以上が経過した今も現役で使われている。平成23年度 社団法人土木学会選奨土木遺産にも認定された。


「木曽川の黎明」 美濃加茂市(左)と可児市の境を流れる 奥が上流の長野県方向


「太田の渡し跡と太田橋」 江戸時代の実際の石畳は、この地下に眠っている


「木曽川の流れ」 太田橋下流より望む 右奥へ向かって大河が流れていく

場所は変わり、JR東海 美濃太田駅である。高山本線・太多線の乗換駅でもあり、第三セクター鉄道の長良川鉄道の起点駅でもあり、今も昔も交通の要衝であることに変わりはない。
この駅では、松茸釜飯を駅ホームで販売していたが、今年の5月末で廃止となった。私が子供の頃には急行列車以下の窓は開いたので、列車到着と同時に立ち売りの「べんとぉ~~~」の良く響く声と共に大いに賑わい、駅の風物詩でもあった。


「JR美濃太田駅」 全て非電化区間のため、空がスッキリしている

駅からまっすぐ南下すると、先ほどの太田の渡しから続く、中山道太田宿の宿場町である。中山道には69の宿場があり、太田宿は江戸日本橋から数えて51番目の宿場であった。
宿内の街並みは約680m(6町14間)あり、本陣・脇本陣が1軒づつ、旅籠は20軒、などがあったとされる。(天保14年 中山道宿大概帳による)


「祐泉寺」 臨済宗妙心寺派の禅寺で文明6年(1474)に創建した「湧く泉庵」に遡る


「桝形」 戦略上宿場町に多い構造だが、太田宿では祐泉寺の北側に造られている


「旧太田脇本陣林家住宅」 明和6年(1769)主屋が建てられた 國の重要文化財に指定

もう一つ忘れてはならない事がある。昭和58年(1983)9月28日、台風10号による豪雨災害があった。この時は、太田橋の橋桁近くまで川の水が増水し、美濃加茂市・坂祝町の各中心部と対岸の可児市の一部が浸水、多大な被害を被った。
それまでは太田の街から直接木曽川まで下りていく事が出来たが、この災害への対策として美濃加茂市から隣接する坂祝町、対岸の可児市の一部には巨大な堤防が完成した。


「木曽川の堤防」 奥のトラス橋が太田橋、文化会館(白色建物)も当時は浸水した

(posted on 2019/10/2)

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