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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

30年前に切り撮った刹那を眺めながら今思うこと(後編) 

~引き続き1990年初冬~
その日の空模様は曇天から次第に晴れていったように記憶している。
本牧市民公園前で下車した僕は、目の前の断崖の上に立つマンションが好きだった。
崖下にかまえる駐車場にはポルシェやBMWが停まっていて、断崖の岩場をくり抜いて作られたようなエレベーターで上昇した後に辿り着くマンションには、きっとハイソサエティで素敵な人たちが暮らしているのだろうと憧れていた。

その小高い丘で形成された隣接する公園の頂まで来ると斜陽に照らされ始めた本牧の工業地帯が一望できた。その工業地帯の先端にある防波堤に登り足元のテトラポットから続く海を眺めながら仲間とよく語り合った。傾いていく陽射しを見ながら日没までに辿り着こうとカメラを片手に道を急いだように記憶している。

目の前の357号線を跨いで、かもめ町という交差点を抜けると防波堤まではゼロヨンができるのではないかと思うような直線が続いていた。当時防波堤には釣り人や、カップル、仲間連れや、独りの人など、様々な人たちが海を眺めながら思い思いの時間を過ごしていた。いま、かもめ町の防波堤からは、かつての景色は見ることができない。南本牧という新たな埋め立てからできた埠頭が存在しているためだ。その南本牧の建設が着工された年が奇しくもこの1990年とのことらしい。確かに写真には、防波堤の先の海に工事が始まるそれらしいものが建っている。

かもめ町の防波堤でひと時を過ごした僕は、それから徒歩でマイカル本牧を目指した。到着した時にはトワイライトも終わり、完全に夜が訪れていた。
戦後の歴史的背景と港町の文化とともに根付いたアートやお店が残る街に、バブル期の波によって新たに出現した街並みは高層ビルが立ち並ぶ東京都心とは、明らかに違うコントラストの強さを放っていて、僕はそんな街並がとても好きだった。

当時のマイカル本牧はとても華やかな複合施設で建築もお洒落な造りだった。横浜で単館上映の作品を見ることができるシネスイッチ本牧という映画館がとても好きで度々足を運んだ。大好きな同郷のアーティストのSIONさんの「かわいい女」というアルバムもこのマイカル本牧のレコード店で買ったことを覚えている。
原色のスーツがディスプレイされているブティックや、お洒落と贅沢の為だけに施されたのではないかと思う空間設計、メイン通りから店内の様子がうかがえる大きなガラス張りのお洒落なバーなどを眺めながら、17歳の僕は感じた何かを表現したくてあの日、幾つもの刹那を切り撮った。

(2019年初夏)
あれから約30年。
17歳だった自分が精一杯の背伸びをしながら母の一眼レフカメラを持ち出して、人生で初めて撮影したフィルムが多くの断捨離の難を逃れていま手元に残っているこのフィルムだ。

当時の僕はまさか、このような形で将来このフィルムと再会して、そしてそれが40歳なかばにして写真家となっている自分にとって原点を見つめさせられるような、こんな意味と因果を作るために、あの日幾つもの刹那をフィルムに焼き付けたのだとは思いもしなかったに違いない。

刹那にしか生きる価値を見出せずにいたあの頃の自分は、大人になるにしたがっていつの間にか何処かに置き去りにしてきたのだろうと思っていたが、17歳の頃の自分も46歳になろうとしている自分もその刹那に馳せる想いは深い胸の裡では途切れていなかったのだと思う。あの頃より少しだけ成長できた事があるならば、それは刹那の連続を大切にする事が生きる価値をより豊かにすると思えるようになった事だろう。

いつか色褪せるとしても、彩り鮮やかな刹那を切り撮り続けたい。
約30年前、17歳だった自分が切り撮った刹那がそう思わせてくれた。

(posted on 2019/10/6)

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