日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

30年前に切り撮った刹那を眺めながら今思うこと(中編) 西田慎太郎

~1990年初冬~
いまから遡ること29年前の1990年。僕は17歳で日本は一般的にはバブル経済絶頂期だったと思う。
当時の僕は横浜市民として緑区に在住していた。
アイデンティティが確立されるローティーンの時期を芥川文学や太宰文学に傾倒して過ごした僕は、退廃的な美に憧れを抱くようなマイノリティー気質を持って思春期を迎え、好景気に沸いている世の中を自立もしていない立場で憂いているような、ひねくれた17歳だった。
自分にとって世界が広がり始める思春期特有のエモーショナルな精神活動は、僕をバンドという音楽の世界に惹きつけていく一方で、文芸や写真といった胸の裡を突き動かすような表現全てに魅了されていく。そしてそれらを見様見真似で自己の内面を吐き出そうとする事でバランスをとっていた。
そんな風に日々を過ごしていたある日、とても裕福とは言えない家計を抱えているはずの離れて暮らす母がとんでもないものを買ってやってきた。興奮気味の母が見せてくれたのは、それまでに自分が使ったことのないタイプのカメラだった。CanonそしてEOSと書かれていたのをはっきりと覚えている。レンズの部分が短いものと長いものに交換できるタイプの所謂、フィルムの一眼レフカメラだったのだ。
買うことで満足する気質の母はそれっきりそのカメラで写真を撮るということは殆どなく、結局使いやすいインスタント・カメラを使っていた。そうなれば僕の手元にやってくるまでにそう時間はかからなかった。
背伸びしたい盛りの当時の僕は、横浜の本牧の街に強い憧れを抱いていて、週末になれば度々、電車とバスを乗り継いで街に繰り出した。(旧)アロハやリキシャルームという名店がまだ存在していた時代の本牧は僕にとって、ただ街にいるだけで大人になれる気がした。
そしてあの日、僕は少年から抜け出せず大人になり切れない自己の内面のモヤモヤをどうにか吐き出したくなって本牧市民公園→かもめ町→マイカル本牧とカメラを片手に自分なりの刹那を探しに出かけた。

1990年の初冬のある日の事だったと思う。
JRの横浜線で桜木町まで来た僕は、おそらく今でいう106系統の市バスに揺られながら目的地を目指した。スタジアムを抜けて元町を抜けて三渓園を抜けて、
降りたのは、終点一つ手前の本牧市民公園前というバス停だった。

(後編につづく)

(posted on 2019/9/6)

西田慎太郎

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