日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

街歩き (23) ライプツィヒ(ドイツ) 堀内広治

45年ぶりにこの街を訪れた。大学時代にイタリアを拠点にヨーロッパ中をほっつき歩いていた時期、ベルリンから行った記憶があり、今でも強く思い出すのは到着した中央駅で、SLがはき出す黒煙に包まれコークスの匂いを嗅ぎながら、03型、052型のSLの写真を夢中で撮影し公安警察に大目玉を食らった事が今でも忘れられない。当時は駅や空港、港湾等は撮影禁止エリアであり、スパイ容疑で逮捕されかねなかった。考えてみれば当時はソ連支配下の東ドイツで思い出すだけで恐ろしい時代だった。

ライプツィヒはザクセン州では一番の人口を有し、州都のドレスデン共々今では多くの観光客が訪れる観光都市として発展している。今回の目的は、新しくなったベルリン中央駅と、改装されたライプッヒ中央駅の撮影で、このコラムの中で幾度かは触れたように、私の趣味の一つの鉄道の中でこの街の中央駅ほど惹かれる駅舎はなく、あとはミラノのチェントラーレ、プラハ中央駅、ブダペスト東駅、オランダのアントワープ駅、スペインのカンフラン駅等が思い浮かぶぐらいか。東西ドイツ統一後に最大の見せ場だった古典主義的な大ホールにはシュッピングモールがオープンし、シースルーのエレヴェーターが吹き抜け空間を上下しているが、決して以前の大ホールの空間の邪魔はしていない。ホームに上がると上下で23線を有すプラットホームは以前のままだが、出入線する列車が著しく違っていて、大半を占めるICE,TER等のカラフルな列車が目につき、機関車牽引の客車編成が見られなくなってしまった。駅前も以前はうらぶれた広場だった記憶があるが、今ではカラフルなトラムが行き交う市内交通のターミナルとして整備されていた。

鉄道の話しが長くなったようだが、この街での一番の有名人はJSバッハを外せないだろう。彼はこの街のトーマス教会のオルガニストとして活躍し、同時期にはヨハネ受難曲、マタイ受難曲、クリスマスオラトリオといった後年に代表作となる多くの宗教音楽を作り上げている。同教会内にあるバッハの墓には年中絶えることのない花が手向けられている。バッハ以外にも多くの音楽家がこの街と関係を持ち、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン達はこの街のゲバントハウスを初演の場所とし、多くの名曲を送り出している。私自身も滞在中の一夜、ゲバントハウスに出かけ、バッハの組曲二番、コレルリの協奏曲等を楽しんだ。あまり知られていないが、滝廉太郎は日本人として初めての音楽留学生としてこの街の音楽大学で学んでいて、彼が下宿にしていたアパート前には記念碑が建っている。

今では音楽愛好家達がゲバントハウスでのバッハ、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンをはじめとするこの街所縁の大作曲家のコンサートを楽しみ、14世紀創業の有名レストラン「アウアー・バッハス・ケラー」でザクセン料理に舌鼓を打ち、仕上げは老舗カフェ「カフェ・パラム」でこの地方産の甘ったるい食後酒で一夜の夢を楽しむ。しかし忘れてならないのは30数年前にこの街の市井の人々の叫び声が反体制批判への発火点となり、やがてソ連を含むヨーロッパ全土に吹き荒れる民主化の出発点の街としても有名になった。十字軍出発地のヴェズレーにも劣らない歴史に記録される街になるだろう。市内のニコライ教会で行われていた月曜日の「平和の祈り」の集会が大きくうねり「我々は人民だ」の叫びに増幅し、中心地のマルクト広場には何十万の人々のシュプレキコールが響きわたり、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一へと突き進んで行った。この街の人々の叫び、うねりがヨーロッパの人々の心を突き動かしたようだ。

以前この反体制運動をNHK特集で放送され人民、国民、市民達が一つになった時のパワーの凄さには感動した記憶が思い出せる。国が変革する時は決して指導者が主体では成し遂げられない。やはり人民、国民、市民が一体となり体制にもの申す以外変革は難しいのかも知れない。
マルクト広場のカフェでこの街の人達の団結力を羨み、高校時代に学生運動の学生達が機動隊と交わり血まみれになっているのを目のあたりにした当時を思い出し、善し悪しは語らないが、国民、市民、学生達が物申し行動した当時は良い時代の一面であった事には違いないだろう。

(posted on 2019/7/9)

堀内広治

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