日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
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街歩き (18) マントヴァ(イタリア) 堀内広治

イタリアルネッサンス期の3人の画家に興味が尽きない。彼ら3人はこの時期の二大巨匠、ダヴィンチ、ラファエロ同様に活躍すべきホームグランドとしての町を持ちそこでの仕事ぶりで名声を獲た。
そろそろ3人の画家の名前を明かすことにするが、残念ながら我が国での認知度は未だ未だ感が否めない。
P・D・フランチェスカのアレッツオ、S・マルティーニのシエナ、A・マンテーニァのマントヴァが彼らのホームグランドと言われている。実際にこれらの町には彼ら3人の代表作とされる壁画が完璧な状態で現存し、教会、宮殿、城等の壁面で鑑賞することが出来るが、反面現地に行かないと鑑賞できない困難さはあるが。前記した三つの町はそれぞれが個性豊かなイタリアの神髄を体感できる素晴らしい町である。現地では展示空間の匂い、空気、風を感じ、聞き心地の良いその土地で話される地方訛りのイタリア語を耳にすると美術館では味わえない絵画鑑賞での至福の時間を過ごす事が出来る。

今回はマンテーニァが宮廷画家を務め活躍した町マントヴァについて書くことにする。
ミラノが州都のロンバルヂィア州の南東に位置し、人口が約5万人の地方都市である。シェイクスピア作の「ロミオとジュリエット」の中でロミオが殺人を犯し町から追放され向かった町がマントヴァであり、ジュリエットの自殺を知りロミオはこの町を後にヴェローナに向かう。又ヴェルディ作のオペラ「リゴレット」の舞台としても名をはせている。

最初に訪れた時期は学生時代の約半世紀前であるが、何故この町に向かったのかは明確な記憶がとんでいる。考えられるのはこの町から半時間ほどの町に、世界で一番の高さを誇る鐘楼がそびえ立つクレモナに行った折に寄ったのか、北に行けば山岳都市の風情が色濃く残るベルガモがあり、その訪問時に立ち寄ったのかはほんと定かではない。しかしこの3つの町を訪れたのは写真が残っているので間違いない。その後3度ほど訪れ前記したマンテーニァの作品にはその都度触れてきたのだが、作品が描かれているドッカレー宮殿以外にも、J・ロマーノが成熟したレネッサンス様式で作り上げたパラッツオ・テ、アルベルティ設計のサンタンドレ聖堂、マントヴァ最古の教会サン・ロレンツ等 ロンバルディア辺境の町にしては見るべき対象が余りある。

再びマンテーニァの話しに戻るが、彼が活躍したルネッサンス後期には油彩画法が確立されていたにもかかわらず彼自身は伝統的な画材のペンペラを多用し、遠近法を駆使した厳格な画面構成、彫刻的な人体表現、荒々しく、筆致豊かなコントラストの強烈な画風を完成させた。彼のパトロンであるゴンザーカ家の居住であるドッカレー宮殿の「婚礼の間」にはゴンザーガ家の婚礼をテーマにした作品が現存し、当時の家族構成、登場人物全ての名前が明らかになっている。この部屋の作品は当然壁画に描かれたフレスコ画であるが、欧州に広く散逸している作品は殆どがテンペラ画法で描かれている。
話しは逸れるがこの宮殿では「婚礼の間」以外にもう1つ「ピッコロの間」と呼ばれる風変わりな空間が存在するが、その名のごとく小人症の傭人専用の部屋である。当時の欧州で重用されていた道化を職業とする人達であるが、宮廷では多くの小人達を召し抱えていたらしい。当時の絵画にも彼らが描かれている作品を何度か目にした事もある。
空間のスケールが略半分に統一され、まるで少々大きめのドールハウスに居るような感じになってくる。この様は小人専用の空間は他では経験ない。

話しを戻すと彼の代表作と言えば、ルーブルの「磔刑図」「聖セバティスアヌス」ブレラの「死せるキリスト」等が有名であるが、10年ほど前に話題になったルーブルで開催された「マンテーニァ展」ではイギリス王室所蔵で門外不出の作品までもが初展示された大回顧展で、壁画を除く世界中に散逸している彼の作品の多くがルーブルに一同に会し、現地では「最初で最後の回顧展だ」とまことしやかに語られ、この機会とばかり2泊3日でわざわざ見に行った事を思い出した。
そんなマンテーニァが活躍したマントヴァは7年前に行ったきり行けてないが、最初に述べたトスカーナのアレッツオやシエナを含めた絵画巡りに再度行きたいものである。
小さめの車をレンタルしロンバルディア、トスカーナの丘をポコポコと越えその先で出会える作品を想像するだけでコラムを書く手が止まり、心と気持ちは早イタリアに向いているようだ。

(posted on 2019/2/10)

堀内広治

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