日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

においときおく 千葉圭子

もう、数えるほどしか会うことができないかもしれないと思い、最近では可能な限り(とはいえ年に1,2回)祖母の元を訪ねるようにしている。
戦前から改修を重ねながらずっとそこに建つ祖母の家には、屋根裏に空間がある。
過去に1,2度は足を踏み入れただろうか。小さい時に肝試しの感覚で入ったように思う。

いわゆる「物置」のように使われている空間なので、何があるわけでもないことはわかっていたが、せっかくなので(何が”せっかく”なのかは不明)行ってみることにした。
なんでわざわざそんな埃っぽい所へ行くのかと、言われずとも聞こえてくるような祖母の表情を横目に、カメラと三脚を担いで急な階段を薄暗い中登って行く。
階段の入り口の扉はあえて閉めておく。一歩登るごとに聞こえる、ギシギシというこもった音がさっきまでの時空から遠ざかって行くように感じさせる。

屋根裏の空間は案外広かったが、案の定お宝が眠っているわけでもなく、古い新聞紙や農作業、漁業の道具が置かれていた。
少しの隙間から射す光が、道具たちをしっとりと照らしている。

カメラを据えて自然光での撮影。
30秒の露光。目を瞑り軽く深呼吸をする。
埃っぽく湿った空気が体に取り込まれると、いつの、どことも言えないような、それでも自分の中にある何らかの記憶がふわっと現れる。
もう一度深呼吸。今度は意識して、目の前の道具が使われていたであろう光景を想像してみる。いつかの音が聞こえてくるような気がする。
さらに3度目の深呼吸。このにおいの正体は何だろうか。集中してみる。

「カシャ」というシャッター音によって、
掴めそうで掴めない正体不明の”やつ”はさっと姿を消して、「時間」が終わった。

日中の暑さはなかなか衰えずとも、夜になると秋の空気を感じる。
すっと空気を吸い込むと、またちらっと”やつ”は現れてすぐにどこかへ行ってしまう。

においは、見ることより、聞くことより、さらに、「曖昧な記憶」を呼び起こすものだ思う。

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(posted on 2018/9/26)

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