日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
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NOSTALGIC JAPAN ⑨「雲上の楽園」 岩手県八幡平市  海老原一己

十和田八幡平国立公園の岩手県側の東方、標高約900mの場所に、かつて『東洋一の硫黄鉱山』と呼ばれた松尾鉱山跡地がある。現在は鉱員が生活していた集合住宅が廃墟となって残るのみ。「北の軍艦島」とも呼ばれている。
今回、二度目の訪問になる。写真は10年くらい前に撮影したもの。
既に幾つか取り壊されている建物があった。

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八幡平アスピーテラインより岩手山を望む

松尾鉱山資料館(八幡平市柏台)に立ち寄り、管理指導員の女性に話しを伺った。

松尾鉱山は大正初期(1913年)に民間企業「松尾鉱業」が操業を始めた。
おもな鉱物は硫黄で、化繊・合成繊維・製紙・農薬・肥料・化学薬品・医薬・染料など幅広い分野の原料として利用されていた。
ここは10月下旬から4月頃までは極寒の気候で積雪も多く厳しい環境におかれると言う。そこで鉱山内で全ての生活が完結出来るようにと、昭和26年(1951年)に鉄筋コンクリート造の集合住宅(緑ヶ丘アパート)が建設される。水洗トイレとスチーム暖房を完備、当時としては最先端の設備を誇った。ピーク時には1万5000人が暮らしたそうだ。その他、生活に必要な売店・郵便局・銀行・学校・図書館・病院・映画館・劇場などの娯楽施設を備えた鉱山町は『雲上の楽園』と称された。光熱費や水道代も無料だった。麓の人は松尾鉱山へ買い物や映画・演劇を見に行く事が楽しみだったという。

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緑ヶ丘アパート

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今回再訪した時には、既に中学校と体育館は取り壊されていた
ラグビーのゴールポストが淋しく佇んでいる

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しかし、1960年代に入り石油から抽出した安価な「回収硫黄」が出回り、松尾鉱業の経営は急速に悪化する。そして、1969年に「従業員全員解雇」のニュースが流れ閉山を迎える事となる。取り残された集合住宅群は約50年の歳月が流れた今も廃墟となった姿をさらし続けている。本来ならば解体されるべきところなのだろうが、閉山後に会社自体が倒産により消滅してしまった為、解体されずに現存している。

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奥に煙突がある建物はアパート全体に暖房を供給するボイラー棟

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閉山後の松尾鉱山は現在進行形で大きな問題を抱えている。廃鉱からph2.2もある強酸性の抗排水が毎分24tも流出しているのだ。この抗排水は盛岡市内の北上川にも流れ、一時は赤茶けた色に染まったそうだ。これを中和する為に1976年に中和処理施設が建設され「バクテリア酸化・炭酸カルシウム中和方式」と呼ばれる処理方式により処理原水の水質が改善されてきている。北上川は現在、鮭の遡上を見ることが出来るくらいに綺麗な川となっている。なお、これらの処理費用として、年5億円が掛かるそうだ。エンドレスに現在もその処理は続いている。
また、植物が育たなくなった鉱山跡地の国有林では、緑を取り戻そうと、ミズナラや白樺等の苗木を植樹する活動も行われている。

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単身赴任してきた幹部が暮らしていたという「至誠寮」

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廃墟となった建物を前に佇むと、何とも言えない空気が流れる。
どこからか「諸行無常」の響きあり。

「夏草や兵どもが夢の跡」 芭蕉の一句が頭に浮かぶ。

かつて東洋一を誇った松尾鉱山。日本の経済の一端を担ってきた場所。
人々が暮らした繁栄の証が風雨にさらされ廃墟となっている現実。
テレビや雑誌、SNS等により「心霊スポット」等と紹介されて侵入者は後を絶たないと言う。

この鉱山では落盤事故で沢山の人が命を落としている。そんな方々に対して思いを馳せる事も必要ではないのか。立ち入り禁止となっている建物内部に侵入して、エアガンを片手にサバイバルゲームに勤しむ輩を見ながら思う。

※松尾鉱山跡地に残る廃墟群は、国有地の為に立入禁止となっています。

(posted on 2018/9/5)

海老原一己

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