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日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム

Column

街歩き (10) ヒヴァ(ウズベキスタン) 

30年以上も前になると思うがNHKで放映されたシルクロードの映像に西域への憧れを強く抱いた。当時聞き慣れないシンセサイザーの音をバックにタクラマカン砂漠を行き交うラクダの背に山積みの荷を積んだ商隊のタイトル映像はいまだに忘れることは出来ない襲撃的な映像だった。

その後、映像で映し出されていた中国のオアシス都市を訪ねてはみたが、当時の映像との差違に愕然とし一気に失望へと相成った。勿論国家の急激な発展に伴う反動としての現象で起こり得る急激な都市化は理解出来るのだが、あの映像に憧れ、期待し、満を持しての訪問となった私にとっての望郷の地は何の特徴もない近代都市に激変していた。

長安、カシュガル、トルファン,最も期待していた敦煌の街ですら郊外には高層ビルが建設されていた。その後も中国西部地域には数度訪れはしたが、それこそタクラマカン砂漠の天山北路、南路辺りの最深部まで行けば映像で見た実体験が出来るのだろうが訪れる機会を持てなかった。

そんな折、通っている大学の学生達とウズベキスタンを訪れる機会があり、瞬時にNHKで見た映像がよみがえってきた。2週間ほどの滞在だったが国の東部に位置する首都のタシケントを出発しまさに西域を目指す旅だった。最初の訪問地サマルカンドではシルクロードの中心都市として「イスラム世界の宝石」「青の都」と呼ばれるに相応しいオアシス都市の風格を大いに堪能し、次の目的地ブラハではイスラム都市の文化的中心地として繁栄を誇った町の煌びやかさを味わった。

ウズベキスタンはいい意味で通常の速度での国の発展は有るのだろうが、心地よい速度での発展のため、私が目にしたNHKでの映像の場面がいたる所に存在していた。幸いな事にこの両所では今でも営業しているキャラバンサライにも滞在ができた。昔ながらの中庭を囲む回廊式の居室、さすがに中庭にはラクダはいないが良い具合のオープンエアーのレストランに作り替えられていた。

さてこの町を後にして旅のハイライトであるヒヴァに向かう。途中にはキジリクム砂漠が横たわり私たちは4駆のマイクロバスでの横断を試みた。約1日がかりで砂漠の海を渡り切り、はるか彼方にこの町の象徴であるホジャのミナレットが陽炎の中にゆらゆらとそそり立つ姿を目視できた時の感動はいまだに鮮明に思い出す。やっと夢にまで見た真のシルクロードにたどり着けたとの思いに涙腺までもが感動していた。

この町はホレズム帝国随一のイスラムの聖都となった事で、外敵の侵入を防ぐ二重の城壁で守られ、特に内側の城壁に囲まれたイチャンカラと呼ばれる旧市街には、20のモスク,20のメドレセ,6基のミナレットをはじめとする多くの遺跡が残されている。

この町に入った第一印象は、サマルカンドの青、ブハラの茶と町並みから受ける印象とは異なり、完全にタイムスリップしてしまい、町に入ったのが深夜だったせいかもしれないが月光に浮かび上がるアラビアンナイトそのものかもしれない。そんな月明かりの街路をそぞろ歩きしていると、涼を求め多くの住人達が外にマットを持ち出し就寝していた。このような日常生活の一端を覗けるのもこの町に滞在しないと体験できない。

夜、観光客がいなくなり滞在者のみに許される人気のない夜間の町を歩いていると、この町のみならず多くの商隊都市がそうであるように、かって存在した奴隷市場の賑わいや、町の支配者であるハーンたちの非道な仕業を考えずにはいられなかった。多くの無益な血が幾度となく流され、その歴史の上にこの町が成り立っていると思うと、内陸性気候の寒気だけではない違った寒気を感じないではなかった。

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(posted on 2018/7/18)

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