日本建築写真家協会

Japan Architectural Photographers Society

コラム
column

写真家 三輪晃久を語る 第一話 三輪晃士

私は三輪晃久の長男で三輪晃士と申します。父を語るには何から話すか大変迷いますが、父は日本国の為に命を捧げた海軍の軍人でした。早稲田大学政経2年の時学徒出陣で出兵したそうです。彼は北方艦隊に配属されたので命があったと聞いております。敗戦後復学を考えた折に大学の先輩より政治団体を勧められ、犬養木堂が開いた「木堂会」に入会し政治家を目指し専務理事に就いたそうですが、米国中古車エンジン輸入事件で詰腹を切らされ政治家を断念し、写真家の道を辿ったそうです。

戦後復興の歩みは国や地方行政から先に、昭和35年頃には東京オリンピックの開催も決まり、日の出の勢いで官民上げての復興が始まった折、政治家の先生たちの口添えで熊谷組、間組、大成建設(旧 大倉組)、鹿島建設を紹介され建築写真家の道に入ったそうです。しかしその頃は既に渡辺義雄先生を代表として川澄先生、二川先生達が建築写真を始めておられ、仕事を頂くのは大変だったそうです。

その頃はカラー写真ではなくモノクロ写真が99%以上で、各写真家が自分で現像からプリントを全て行っていたそうです。私も中高生になっていたので、毎日暗室作業の際には現像、停止、定着、水洗のステップを見聞して門前の小僧に成りました。日中は暗室の隅々から光が入る為に必ず夜間の作業で大変そうでした。そうこうしている内に、オリンピック関連の建築物が竣工を迎え大成建設さんや、鹿島建設さんの大型物件を撮影する事になり、経済的にも余裕が出たようでした。因みに私が高校2年生の時でした。

続きは次回にします。

sabaku

(posted on 2016/12/20)

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