頭ケ島教会
(かしらがしまきょうかい)
中通島


 現在は中通島と橋でつながっていますが、もともと離島だった頭ケ島に建てられた日本全国でも珍しい石造の教会です。
こちらも江上教会と同じく鉄川与助の設計・施工した教会で、本島内の石を切り出し、信徒たちが手漕ぎ船で運んで積み上げたそうです。

 鉄川与助は五島で多くの教会を設計・施工しましたが、毎回新しい方法に挑戦したそうで この教会の天井はアーチやヴォールトを用いず日本の教会建築には類のない構造と言われている二重持ち送りのハンマービーム構造で折り上げられているそうです。

 今回の建築写真家協会設立10周年記念展が「日本 風土と建築」に決まった時、以前に長崎の五島列島の教会を訪れた時の写真から出品しようと思いました。

 五島列島は、約140もの島々でなっておりその中に50棟あまりの教会があります。この地域に多くの教会が建てられたのは、キリスト教の禁教令後に海を渡って移り住み、密かに信仰を守り続けたキリシタンの人々の思いが込められています。
 1614年に徳川幕府がキリスト教の禁教令を発しキリスト教の本格的な弾圧が始まり日本のキリスト教は根絶したと思われていましたが、1797年に農業開拓のために五島に移住した人々の中に多くの潜伏キリシタンがいたそうです。

 潜伏キリシタンとは、強制改宗でキリスト教信仰をやめ仏教を信仰しているとみせかけて秘密裏にキリスト教信を信仰し続けた信仰者の事です。 また、カクレキリシタンは1873年に禁教令が解かれて潜伏する必要がなくなっても、キリスト教に戻らなかった信仰者の事です。

五島列島

教会撮影の旅

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窓ガラスの手書きの花びらや円柱の手書きの木目、入口の「天主堂」の文字など地引き網漁で建築資金をつくった信徒たちの思いが伝わってくる素朴な教会です。

江上教会
(えがみきょうかい)
奈留島


奈留島西部の海辺にある漁村集落のはずれに、緑の樹々の中にひっそりと建つ教会です。

 教会建設の第一人者と言われる鉄川与助が設計・施工した教会で木造下見板張り、重層屋根構成、桟瓦葺きの建物で長崎県の木造教会堂建物のうち最も完成された遺構と言われています。

旧五輪教会
(きゅうごりんきょうかい)
 久賀島

久賀島東部の五輪地区は、山と海に挟まれた小さな集落で現在も車では入ることができない為、山道を徒歩で数時間歩くか船で上陸するしかない場所に建っています。もともとは、1881年に浜脇教会として建てた物を五輪地区に移築されました。

屋根に十字架が無ければ村の集会所と思ってしまう様な和風な外観ですが、内部はゴシック様式という明治初期の教会堂建築史を物語る貴重な天主堂といわれています。

 五島の教会の多くは明治になって信仰の自由を得たキリスト教信徒の子孫によって建てられました。

それぞれの教会にさまざまな物語があり、まさしく日本の歴史と風土から建てられた建築群ではないかと撮影をしながら感じました。

現在は、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産に登録の申請もしています。

私は、その中から14棟の教会を訪れたのですが、いくつか印象に残った教会を紹介したいと思います。

山田新治郎

 この小さな日本という島国でもその地域の歴史や風土からさまざまな建築が生まれる事を改めて感じた旅でした。

今回はこの三件の教会を紹介しましたが、他にも素晴らしい教会建築があるので興味の有る方は一度訪れてみてはどうでしょうか。

ちなみに、「恋人よ」の歌で有名な歌手の五輪真弓さんの芸名は、この教会の近くに親戚が住んでいてよく訪ねていたらしく、ここの地名の五輪を取ったそうです。(五輪の読みは いつわですが)

ここまでの写真 旧五輪教会

Copyright : 山田新治郎